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栃木リンチ事件・警察捜査怠慢認定

先日の沖田さんの民事訴訟と正反対のひさびさに、胸のすく判決だ。

「栃木県上三川町の会社員須藤正和さん(当時19歳)が1999年12月、
 少年グループにリンチを受けた末に殺害された事件を巡り、遺族が
 県警の捜査の不手際などを問題として、国家賠償法に基づいて県などに
 約1億5000万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が12日、宇都宮地裁で
 あった。柴田秀裁判長は『警察権を行使しなかった事で、殺害行為の招来を
 防止できず死亡に至ったと言える。警察権の不行使は国家賠償法の違法な
 公権力の行使に該当する』と判断。県と加害者に計約1億1200万円の支払いを
 命じた。このうち約9600万円について県に連帯して賠償責任があると認めた。」

お父さんが同じ理容師という事もあって、実は身近に感じていた。
この6年半の間に、妻・洋子さん、主任弁護士が相次いで亡くなるなど
自分のまわりからどんどんと人がいなくなるのだから、裁判以上に
精神面で大変苦しかったと思う・・。

しかし、明らかになれば明らかになる程、栃木・石橋署の「ずさんさ」
はすごい。9回にわたり両親は栃木・石橋署に足を運ぶが捜査は実現せず、
その中でも栃木・石橋署の対応がひどいのが、

1999年10月19日

父「何か犯罪に巻き込まれたのではないか?」と捜索願を出す。
警察「警察は事件が起こらないと動かないんだよ!」

1999年10月22日

父「監禁か軟禁状態にあるようだが」
警察「憶測に過ぎない。麻薬でもやっているんだろう。」

1999年11月30日

父「防犯カメラの調査を要請」するも、
警察「裁判所の許可が必要」と取り合ってもらえず放置。
その要請中に正和さんから電話が入る。そこで父は「友人に替わるから」と
転機をきかせ、石橋署の警察官に替わる。そこで電話に出た警察官は
なんと「石橋の警察だ!」とあっさり身分を明かしてしまう。

1999年12月2日

正和さんは山中に埋められ殺害される。発見時は全身の皮膚の80%にヤケドが
あったという。正和さんの最後の言葉、

「生きたまま埋められるのかな。残酷だな」

という言葉が裏付けるように、犯人の3少年の供述によると、2ヶ月間にわたり、
激しい暴行を繰り返し、熱湯のシャワーを顔や身体にかけ、吹き出る殺虫剤に
ライターで火を付け火炎放射、ヤケドをした箇所を靴べらで叩き続ける・・
消費者金融から約700万円借りさせるという目の覆いたくなるような内容だ・・。
その700万円の件も両親は調べてわかっており、栃木・石橋署に相談しているが

父「借金を強制されているようだ」
警察「お金を借りているのは、あんたのせがれだよ。仲間に金を分け与えて
   おもしろおかしく遊んでいるんじゃないの?」

と取り合ってもらえなかったという。常識的に言って700万円を消費者金融から
「遊ぶ金」として借りる奴はいないだろう。

銀行側からの防犯カメラの映像もどんどん顔が膨れあがていて、酷さを物語る・・。
少年3人は遺体発見されたその日に逮捕、刑事裁判で無期懲役を最高に実刑判決が
出ている。

正和さんの両親は

「警察の捜査ミスが息子の死を招いた」

として民事訴訟を起こした。当然だ。事前の刑事裁判では

「この電話(「石橋の警察だ!」とあっさり身分を明かした電話)で犯人グループが
 警察の捜査を察知し、殺害を決意した」

と認定。さらに、栃木県警は民事訴訟前の2000年5月に

「不適切な対応と捜査の怠慢があった。」

と謝罪会見し、警察だと名乗った事が犯行のきっかけのひとつとなった事に
ついてもきちんと謝罪していた。しかし、民事訴訟が始まると栃木県警は一転、

「須藤さんの母親が『金なんかあるか、でれすけ野郎』と怒鳴ったため、
 電話が切れました」

と主張を変えてきた。警察の主張が正しいのか?両親の主張が正しいのか?
裁判は平行線だった。警察と両親しか知り得ない情報なのだから当然だ。
しかし、「須藤さんの両親が言う事が正しい」と証言し、平行線を覆したのはなんと

「犯人の3少年のうちのひとりのお母さん」

だった。同時に警察の「偽証」を証明した裁判でもあった。

判決について、栃木県警の込山晴康首席監察官は

「大変厳しい判決で、主張が認められず非常に残念。今後、判決文を見て内容を検討して
 対応したい。改めて亡くなられた被害者のご冥福(めいふく)をお祈りします」

と話したというが、どこが「大変厳しい判決」なんだ?
しかも、まだ争う気なのか?ここまでの不適切な対応、怠慢、裁判偽証と続けて、
まだ自分たちに正しい所があるというのか?
そうでなければ「真摯に判決を受け止め、今後気を付ける」と社交辞令でも言うだろう。
やはり、栃木県警は何から何までおかしい。

埼玉・桶川ストーカー殺人事件の被害者の遺族、猪野京子さんの一言が重かった。

「当たり前の判決が当たり前に出ただけです。」

それほど、裁判とは警察主導で行われ常識が通じないという事なのだ。
明日は我が身かもしれない・・・。