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ロシアの戦略的外交(中編)

■ロシアの戦略的外交(前編)■
https://www.hearts.jp/user-cgi-bin/diarypro/diary.cgi?no=1255

前編からの続きぃぃ〜

そうは言うものの、これだけもめている北方領土問題って
実はどういう事?・・わかっているようでわかっていない
もの・・(笑)なので、備忘録も含めてちょっと整理する。
で、整理してみると、実は結構、複雑であったりする・・(笑)

さかのぼると、1854年【日露和信条約】で、択捉島より南
(歯舞諸島・色丹島・国後島・択捉島の四島は)が【日本領】
で、ウルップ島より北の千島列島は【ロシア領】となる。
で、樺太は共同管理体制をとる。
その後、1875年【樺太・千島交換条約】で、樺太は全部
【ロシア領】、千島列島は歯舞諸島・色丹島・国後島・択捉島
の四島だけじゃなく、全部【日本領】となる。
その後、1905年に日露戦争で日本が勝つと【ポーツマス条約】
で、樺太は南北に分割、北緯50度以南の樺太は【日本領】、
北が【ロシア領】となる。
この時点で整理すると、樺太の北だけが【ロシア領】、樺太
の南&四島を含む千島列島全域が【日本領】であるという事。
で、1922年ロシアがソ連となる。
1941年に日本とソ連の間で【日ソ中立条約】締結された。
相互不可侵および、一方が第三国の軍事行動の対象になった
場合の他方の中立などを定め、このまま第二次世界大戦になる。
ここから先は有名な出来事で、日本はご存じの通り、第二次
世界大戦に負ける。
ソ連は【日ソ中立条約】を破って、戦争が終わるちょっと前
(8月8日)に参戦して樺太の南を占領、9月5日までの間に
北方四島のすべてを占領。
日本は8月15日に【ポツダム宣言】とともに降伏している
のだから、ソ連の行為は、どさくさに紛れた侵略である事は
明確・・だが、1946年2月にソ連は、樺太南部・千島列島・
国後島・択捉島・色丹島・歯舞群島を自国の領土とする事
を宣言・・。
さらに日本は1951年、戦後処理のための

【サンフランシスコ平和条約(ソ連は調印せず)】

を締結、日本は樺太の南と千島列島の

【権利・請求権】

を放棄した。ただ、当時の吉田茂氏は

【色丹島および歯舞諸島が北海道の一部である事】
【択捉および国後の両島は(千島列島ではなく)千島列島
 の南部の二島である事】

を宣言・・わかりにくいが、日本は【樺太・千島交換条約】
により四島はすでに日本固有の領土(そもそも北海道)で、
権利を放棄した千島列島というのは、ウルップ島の北の
島々の事だよという事。
まあ、四島に関しては、住んでいるのは日本人ばかりだったし、
この点においては日本の主張はアメリカも認めている。
だが、ソ連は四島を含む全部を放棄したと判断している訳だ・・
調印してないクセに・・(笑)
で、1956年に、鳩山首相がソ連を訪れ【日ソ共同宣言】
に調印、第9項に

【日ソ平和条約締結後に歯舞群島、色丹島を返す】

と明記する。だが、結果論としてこれがまずかった。
ここからが日本は拉致問題と同じ道をたどる事になる・・。
日本は【ソ連は二島を譲歩してきたのだから、交渉によっては
四島になる可能性もありうる・・】という事で【四島返還】で
アプローチしてゆく事になる。

後編へ続くよん!(笑)

■ロシアの戦略的外交(後編)■
https://www.hearts.jp/user-cgi-bin/diarypro/diary.cgi?no=1257