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人間とは【冷酷な生き物】なのかもしれません

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光市母子殺害:元少年の上告棄却 死刑確定へ
(2012年2月20日・毎日新聞)
母子殺害事件の差し戻し上告審判決の傍聴を終え、最高裁を出る遺族の本村洋さん=最高裁前で2012年2月20日午後3時15分、手塚耕一郎撮影
 山口県光市で99年に母子を殺害したとして殺人や強姦(ごうかん)致死罪などに問われた当時18歳の元少年(30)の差し戻し上告審で、最高裁第 1小法廷(金築誠志裁判長)は20日、被告の上告を棄却する判決を言い渡した。広島高裁差し戻し控訴審(08年4月)の死刑判決が確定する。
 少年法は18歳未満への死刑を禁じており、事件当時18歳と30日だった被告に死刑を選択すべきかどうかが最大の争点だった。検察の死刑求刑に対 し、1審・山口地裁判決(00年3月)、2審・広島高裁判決(02年3月)はともに立ち直り(更生)の可能性を重視して無期懲役とした。しかし、最高裁判 決(06年6月)は「年齢は死刑回避の決定的事情とはいえない」として無期懲役の判決を破棄し、審理を広島高裁に差し戻した。
 差し戻し控訴審判決によると、元少年は99年4月、山口県光市の本村洋さん(35)方に配水管検査を装って上がり込み、妻弥生さん(当時23歳)を絞殺して強姦。長女夕夏ちゃん(同11カ月)も絞殺した。
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本村氏が、残業で帰ってきて部屋に誰もいなくて、実家の
お母さんと話をしながら押し入れの弥生さんと天袋の
夕夏ちゃんの無惨な姿を発見し、

「その時に2人を抱きしめてやれなかったひどい男なんです・・」

と涙を流して13年・・。
やっと・・やっと終わった・・_| ̄|○
本当に色々な事を投げかけ、色々な基準が大きく変わった
裁判・・同時に、自分も、当ブログで色々と書いて来た・・。

光市母子殺害事件・高裁差し戻し

そして、あの手紙から頭に来て、当ブログも加害者少年
を実名で書く事に決める・・。

それだけ戦ってきたという事
1審判決を破棄する。被告人を死刑に処する

上記のように、以前から自分も死刑しかないと延べてきた。
ただでさえ、一審で【無期懲役】判決・・自分の手でも
敵を討てず、司法でも敵を討てない・・なんてダメな男
なのだと絶望し、加害者の福田孝行(今回、大月に名字が
変わっていた。しかし、母親は自殺しているので、なぜ
変わったのか?というと、少年の凶悪犯罪の場合、今後
生きてゆくために名前が変わる事があるからそれでは
ないか?と思われる)の

【まあ、しゃあないですわ今更。被害者さんの事です
 やろ?知ってま。ありゃーちょーしづいてるとボクもね、
 思うとりました。う~ん無期はもうほぼ決まりでして
 7年そこそこで地上に芽を出す】

という手紙でさらに拳を握りしめ、次は

【押し入れに、ドラえもんがいると信じていた。4次元
 ポケットで何とか(再生)してくれると思った】
【死者を復活させる儀式だった】
【弥生さんに母性を感じ抱きついた。じゃれたかっただけ】

などと、事件そのものを反省とはほど遠く、侮辱され
続けてきた本当にひどい裁判だった・・。
こんな生きているだけでも腹が立つような奴を、この手
で殺す事もできなければ、ただただ裁判に従い見守る
しか無い遺族・・それが13年間の間に世論と共に、
刑事司法制度に影響を与え【被害者の報いる裁判】
形を変えた・・。

とはいえ、本村氏の言葉は重い・・。

【この判決に勝者なんていない。犯罪が起こった時点で、
 みんな敗者だと思う。社会から人が減るし、多くの人
 が悩むし、血税を使って裁判が行われる・・。
 結局 得られるものはマイナスのものが多い・・。
 そういった中から、マイナスのものを社会から排除
 する事が大事で、結果として、妻と娘の命が今後
 の役に立てればと思う・・。
 そのためにできることをやってきたという事を
 (亡くなった2人に)伝えたい】

本村氏は13年の長い戦いをこう閉じた・・。

死刑判決を受けての記者会見の最後に「今は
どのような生活を送られているのか?」の問いに、

【私自身、2009年(平成21年)にある女性と籍を
 入れて、細々と家庭を持っている。それに は色々な
 理由があるが、私自身、1人で生きていく事が
 とてもつらくなり、精神的にまいっていた。
 そして、とてもすばらしい方と出会えた事もあった。
 色々悩んだし、相手も考えたと思うが、私を支えて
 くれるという事で、今、細々とだが、2人で生活して
 いる。その彼女は命日には一緒にお墓に行って、
 手を合わせてくれている。その人のお陰で、
 こういった場に立てる。感謝している・・。】

と、本村氏は2年程前に、会社の同僚である7才
年上の方と再婚をなさっている
・・。
2008年の段階で、本村氏がある番組の独占
インタビューで

【この先、許されるならば、もう一度、家族を作りたい】

と語っていた・・恐らく、この頃にはもう今の奥様に支え
られながら、つきあっていたのだろう・・。

この【許されるならば】という言葉には、この先、新しい
家庭を作れば、

【奥さんと子供を忘れたのか!】
【自分だけ幸せになるのか!】

などと心ない言葉が出る可能性への示唆・・。
そして、悲しいかな・・どうしても、

【みんなが望む、きれいな被害者】

の押しつけが同時に始まる・・。なんか、

【愛する人を亡くしたのだから、ひとりで慎ましく奥様
 と子供の事を思いながら死んでゆかなければならない】

だとか、再婚するにしても、この【死刑判決】で決着が
ついてからならまだしも、決着する前からの再婚して
いたのはなんだか違和感がある・・妻子を裏切った・・
みたいな・・(^-^;
よって2ちゃんなどでは、上記のような理由からか、
本村氏の再婚に対し、完全に叩いているスレッドも
あった・・(-_-;)

こうした事をふまえ、再婚なさってから2年間・・再婚の事
を【言えなかったのか?】それとも【言わなかったのか?】
その事はもちろん本村氏にしかわからない・・。
ただ、記者会見の最後にそこをあえて触れたのは、
再婚相手へのケジメ、この事件が終わり新しい生活
へのケジメをつけた側面もあるのだろうと思う・・。

でも、自分もそうは言いながらも、【愛する人を亡くした
のだから、ひとりで慎ましく奥様と子供の事を思いながら
死んでゆかなければならない】と本村氏に押し付けている
気持ちはゼロなのか?というと、恥ずかしながら、その
感情がゼロと言ったら嘘になる・・。
そうあるべきではないか・・と思う気持ちが少しあるのだ。
・・ああ・・自己嫌悪・・(-_-;)

人という生き物は、モラルという個々の価値観をどうしても
押し付ける形になるため、【被害者】が一生懸命に新たな
人生を取り戻そうとする事に多かれ少なかれ【冷酷な生き物】
なのかもしれません
・・。
そんな事を考えてしまう【光市母子殺害事件】でした・・。

いずれにしても、本村氏・・ご苦労様でした。