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「家族葬」という素敵な時間の流れ

今からちょうど1年前に生前の故人の希望
もあって「家族葬」という初めての経験を
した・・(^^*)

昔ならば「密葬」と呼ばれ、「何か人に
言えない死に方をしたのでは?」とか、
囁かれちゃって、近隣関係がうまくいかなく
なっちゃったりするんだけど、近隣とも昔程
濃厚でなくなったのも手伝って、やっと
時代が追いついてきた気がする・・。

結果から語るならば、正直素晴らしかった!

参列も文字通り、実の子供だけで、近々の
親戚も、ましてやご近所すら呼ばず、本当の
家族だけ・・・・。
いわゆる「他人」への配慮がいらないから、
流れる時間を全て故人のために使う事が
出来る・・。
通夜振る舞いも「他人」へのお酒をついで
回る事も、料理が足らなくて追加する事も
おもてなす為の人員配置の事も考える事が
いらないので、これまた故人の事を振り返る
為だけに素敵な時間が流れてゆく・・。
このゆっくりとした時間、全くストレスを
感じる事も無く、他人への気遣いと配慮から
も開放・・と、とても素晴らしかった・・。

そして、これが本当の

「葬式」

なのかな・・と・・。

しかし、問題がない訳ではない・・。
この時も、後日談として、親族からは
結構、怒られたそうだ・・。

「最後に会いたかった」
「なんで連絡してこないんだ」

と・・(笑)
ま、これも想定済みの出来事だったので、
大した問題ではなかったりする・・。

悪いが、前者の「最後に会いたかった」に
関しては、実際は、そこまで言う人間程、
生前の時間の方がとてつもなく長かったはず
なのに、会いにも来ないんだよね・・。
入退院も繰り返していたし、家にだって寂しく
1人でいたりした訳ですから、腐るほど会えた
環境だったにもかかわらず・・(笑)

「今までたくさんお会いできる時間はありましたから、たくさん会いに来て頂ければよろしかったのにね」

と、皮肉る事も忘れずにね!(゚-゚)b

そして後者の「なんで連絡してこないんだ」
に関しては、故人の希望だった・・という
のもあるけど、故人がそう望む背景には、
昨今ではそこまでのおつきあいをして
いない事がわかっていたから・・。
残念だけど、社交的な人間とそうでない人間
が世の中にはいる・・社交的でない人間の
老後は簡単に想像できるだろう・・(笑)
もちろん、人生の中で1人の力で生きてきた
訳ではない事を考えると、失礼な事なのかも
しれない・・。
でも、親交があったならともかく、家系と
いう「しがらみ」という形だけの話なら、
その「しがらみ」に邪魔されない最後と
いう形も自由かな・・と思うんだな・・。

とはいえ、実際は年齢がある程度いくと、
本当に泣き崩れるくらいに親しい人間、
それなりに親交があった人間でもない限り、
葬式に呼ばれるのも、葬儀場まで出向く
のも、正直迷惑だったりする・・(^-^;
ましてや、夏や冬の極端な気温の時などは
特にだ・・しかも親族ともなると普通は
2日間に渡るし「しがらみ」という形で
出向かれる側も「やれやれ・・」である。

こちらも側も来たら来たで、本当は故人と
静粛に向き合いたい時間にしたいのに、
ほったらかしのままにはできないから、
何かしら対応をしないといけない・・。
そう考えれば、声を大にしてはなかなか
言えないけれども、正直、互いにメリット
は大きいと思うんだけどね・・(^-^;(笑)

でも、1年が過ぎてみて改めて思い起こして
整理してみても、やはり「家族葬」は素敵
だった・・。
まだ時代的に、力強い決意が必要ではある
けれども、この素敵な故人との時間の流れ方
は、経験した人間にしかわからない・・。
だから、多くの人達がぜひ経験してもらいたい
と思うんだな・・(^^*)