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今後の高齢者の行方をハッキリさせちゃったかな・・

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<認知症男性JR事故死>「家族に責任なし」監督義務を限定
(毎日新聞・2016年3月1日)
 認知症の高齢者が列車にはねられ、鉄道会社に損害を与えた場合に家族が賠償責任を負うべきかが争われた訴訟の上告審判決で、最高裁第3小法廷(岡部喜代 子裁判長)は1日、「同居の夫婦だからといって直ちに監督義務者になるわけではなく、介護の実態を総合考慮して責任を判断すべきだ」との初判断を示した。 その上で、家族に賠償を命じた2審判決を破棄して鉄道会社側の請求を棄却した。家族側の逆転勝訴が確定した。
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この裁判は多くの国民が

「明日は我が身・・」

という事で気になっていたと思う・・。
自分においても「20年以上同居して
おらず、事故直前も月に3回程度、
父親宅を訪ねていた」という長男の
立場は全く以て合致するし、その離れた
実家で両親が2人きりで暮らしている形
すらも合致する・・。

2013年8月の1審・名古屋地裁では、
その長男を事実上の監督義務者と判断し、
妻の責任も認めて2人に全額の支払いを
命じた・・という事で、この判決はJR側
の言い分が通り、遺族側は全てを否定
された形ですから、自分がその立場でも
なかなか承服しがたい判決だ・・。

2014年4月の2審・名古屋高裁では、
長男の監督義務は否定されたが、「同居
する妻には夫婦としての協力扶助義務が
あり、監督義務を負う」として、妻に
約360万円の賠償を命じた・・と、
この判決は確かにJR側も半分泣くから、
そちらも半分負担してよ・・的な判断
としては両成敗的な判決かも・・という
側面からは、落としどころな気もするが、
「同居する妻には夫婦としての協力扶助
義務があり、監督義務を負う」という部分
は、自分でも承服できない判決だ・・。

その両方の部分をふまえると、今回の
最高裁の判決は、個人的に、介護の実情
をふまえ、普通の人間的な感覚で今後を
見越した形の判決だったと感じる・・。

ただし、気になる部分が無かったか?と
言われれば、

「自ら引き受けたとみるべき特段の事情があれば、事実上の監督義務者として賠償責任を問う事ができる」

その上で、

「同居の有無や問題行動の有無、介護の実態を総合考慮して、責任を問うのが相当といえるか公平の見地から判断すべきだ」

と【監督義務者】の立場がある意味明確化
されたとも言える指摘部分が個人的に
気になった・・。

何を言いたいか?というと、両親と顔を
見に行くなど、それなりの回数を行き来
していたり、同居をしていたりした場合は
【監督義務者】の立場となり、賠償責任を
問う事ができるという、両親の面倒見の
良い家庭の場合は今回のケースであっても
賠償責任を問われ支払い義務が出る可能性
があった・・という事だ・・。

誤解を恐れずに言うならば、家庭環境に
よっては、

【今後、両親を見捨てた方が正解!】

という答えでもあるという事だ・・。
なぜなら、親にそれなりの財産のある家庭
は、最悪今回のケースでも支払いが出来る
からなんとかなる・・それならば一応、
子供側も面倒見ようか・・という形に
なって来るかもしれないが、やはり財産
のない親は、子供側に支払い責任が来る
事になるので、面倒を見た子供の家庭が
一気に負債を抱え不幸になるため、面倒を
見たくとも見られなくなってしまった・・
とも言える訳だ・・。

やはり今後の高齢化を考えると、家族で
面倒を見られるところは家族で、孤独な
高齢者などは近隣で見られるところは
近隣で・・という形にはならざるを
得ない・・。
という事は、面倒を見た人間が貧乏くじを
引く形でなく、火災の時には「失火の責任
に関する法律(失火法」があるのと同じ
考え方で、

「原因が故意や重過失でない限り、法的な賠償義務は発生しません」

という事で、どんなに頭にきても個々に
火災保険に入る事で自宅は修繕しなくては
いけない、火災を出した当事者に責任が
問えない・・のと同じような形にして
いかないと、どんどんと高齢者の面倒を
見るのを避ける人が今後は増えてゆく事に
なってしまう事にもなる判決だったなぁと、
そしてそうなる前に、ちょっと政府も法律
を作って、手を打たないとな・・とも
感じる裁判でした・・。