記事一覧

闇の子供たち(本も映画もネタバレ注意!)

ファイル 1217-2.jpg

店でお客様用の雑誌として買っている
【SPA!】に阪本順次監督の話が載って
いるのを読んで、もし近所で公開される
など、機会があったら観てみたい!
と思っていた映画【闇の子供たち】・・。

当初、夏休みに全国ロードショーされて
いるものの、この辺は子供が多いせいか、
ロードショー会場に入っていなかったので、
まあ、DVDになったら観ればいいや!位
に思っていたのだが、ワーナーマイカル
港北で、11/15〜11/28までの
2週間限定ロードショーという事でした
ので、見逃してはならん!という事で、
早速観てきましたよ!(^^*)

ストーリーとしては、息子の命のために
臓器移植を・・と願う両親を中心に、
現地記者やカメラマン、NGO、タイの
子供達の視点から、タイの子供の
人身売買・幼児売春・臓器密売・
エイズ問題を中心に、日本の夫婦が
子供の心臓移植手術を受ける事を
通して、タイにおける臓器移植の闇
を描いている・・。

実は自分はこの映画を見る前に、原作
を読んでいる・・500ページ弱もの小説
を2時間半の映画にまとめ上げている
のだが、如何せん、上記に書いた問題
全てを詰め込んでいるので、原作を
読んでいない人は、日本の夫婦が
子供の心臓移植手術を受ける所が
一番わかりやすかったために、この映画
を誤解してしまうのではないか?と感じた。

映画や原作の中でも述べられているが、
日本の現行法の規定では、15歳未満
は脳死下の臓器の提供者になる事は
できない・・。
臓器移植しか救う道が残されていない、
幼い子供達を国内で助ける道が事実上
閉ざされているという現状では、結果的
に残されているのは海外での臓器移植
しかない・・。

しかし残念なのは、この映画によって、
臓器移植に対するイメージが悪くなって
しまった・・というか、観た人間が、タイ
での子供の臓器移植に

【タイでの子供の臓器移植=生きたままの解剖&人身売買】

であると差別意識と共に偏見が出てくる
可能性があり、先にも書いたように、
誤解してしまうのではないか?という事・・。

実際、映画を観る前に、日経ビジネスオン
ラインで、この映画で監修を行った
大阪大学医学部付属病院移植
医療部 福嶌教偉氏
のインタビュー
を読んでいた。
(消えると困るので、以下に書き出してあります。)
**************************************
■「闇の子供たち」が映す臓器移植の課題■
〜大阪大学医学部付属病院移植医療部・福嶌教偉さん〜

日経:映画では、子供の心臓移植とともに、臓器売買の問題を描いていますが、現実にはない、これは映画のフィクション部分というのは、どこなんでしょうか。

福嶌氏:まずはタイで、日本人が心臓移植を受けた例はないということですよね。次に、心臓移植を受けようと思っている子供の両親が、よその子供を殺してまで自分の子供を助けたい、精神的にそう思っている人は、一人もいないということです。親だから、子供をなんとしても助けたいという思いはあっても、みんな我慢して死んでいっている。人を殺してまで、生きたい、生かしたいという親はいません。もう一つ、心臓移植はリスクが高すぎて、儲けということでは成立しないかもしれない。というのも、心臓移植をしようと思ったら、心臓を止めて
いる間に人工心肺の器械を動かしていないといけないし、手術するためにはたくさんの人がいる。腎臓移植なら、ある程度うまい人がいたら、助手と二人で手術をすますことができる。でも心臓の手術はぜったい少人数ではできませんから。それはありえない。

日経:心臓麻酔の専門医と、人工心肺の器械をまわすのに1人、手術医が3人と看護婦という具合に計算していくと、エキスパートが8人は揃わないと心臓移植は行えないという。

福嶌氏:8人を口止めして、儲けも出そうなんて考えたら、ビジネスとして儲からへん。それに、見つかったときには心臓だったら死刑でしょう。タイの外科医といえばエリートの人たちです。その人たちがいくらなんでも、そんな危ないことに手を貸すとは思えない。映画では、なんらかの事情があってということにしているけれど、そこは医療の現場にいる者の目からすると、映画のフィクションといえるでしょう。
**************************************
パンフレットにも氏のコメントが載って
いるが、上記と同じような事が書いて
あり、この映画は心臓移植の件に
ついては、医学的立場から言って、
フィクションなので間違えて観ないで
下さいと訴えていた。
日経サイトを見なかった人、パンフレット
を買わなかった人はこの先生の話を
知らない訳ですから、完全にこの映画、
この原作を、きっと作者がきちんと裏付け
をとったであろうというノンフィクション
として錯覚する。

これは、タイに対して大変失礼で
本当に残念だ・・。

逆に百歩譲って、原作におけるフィクション
の面が心臓移植の部分だけだったの
ならば、映画では心臓移植というテーマ
と違う臓器移植にすれば良かったと
思うのだが、それでは、移植した子供が
死なないから、臓器移植問題の訴えが
弱くなるし、過激に描けない・・みたいな
何か【すごく酷い】という事を訴えたい
ためのような何か【陥れたい部分】が
見え隠れしてしまう・・そこは非常に
残念だ・・。

それと、原作では跡形も無かった映画
においてのラスト。主人公の一人、
新聞記者の【南部浩行(江口洋介)】の
心の闇の部分・・。

個人的には必要なかったと思う・・。

心臓移植がフィクションでも、臓器売買
や幼児人身売買、幼児売春の部分が
作者が取材を重ねて得た【大まかな
部分で事実】なのだとしたならば、
悪いが、ここに時間をかけるなら、原作
でリアルに描かれている、もっと子供達
が売られて行く途中の虐待の悲惨さ・・

例えば、一番最初のセンラーが親に
売られて車で連れて行かれる所など、
実は原作では2日もかかって、道中、
何度もタバコを押しつけられ、食事も
1日にパンひとつ位しかほぼ与えられず
ひどい状態で運ばれていく姿や、
売られてゆく過酷な背景の悲惨さ・・。

さらに、例えば貧困故、一番最初に
【ヤイルーン】(最初にエイズになる
女の子)を売ったお金で親はテレビや
冷蔵庫を買い、表向きは「子供が
親孝行をして何が悪い!」と大人の
もっともらしい建前の中、【センラー】
(映画の冒頭で売られて行く女の子)
も売られていく事だとか、【ヤイルーン】
がエイズを発症し、黒いゴミ袋に
入れられ捨てられるが、ゴミ袋を
破って一生懸命歩いて家に帰る。
しかし、家族は檻を作って【ヤイルーン】
を隔離する・・こうした檻が作られ
我が子を檻に入れなくてはならない
家族の葛藤など・・【南部浩行】の
シーンなど削り、原作のように時間を
かけて描くべき、訴えるべき部分は
他にたくさんあったと思いますね・・。

そうした詳細を描き切れていない所に、
幼児人身売買・幼児売春・臓器密売・
エイズ問題を一気に詰め込むから、
恐らく、原作を読んでいない人は、
細やかな事が良くわからないだけ
でなく、ただ漠然と

【悲惨だ・・】

的な映画に映ってしまっているはずだ・・。
ここは非常にもったいない。

さらに、【ペドファイル(幼児性愛者)】・・。
これについては、そもそも成人男性が
女の子に興味がある【ロリコン】・・と
いう自分にはよくわからない人種の
位置付けみたいな軽いレベルで
考えていたので、単に漠然と

【気持ち悪いなぁ・・】

位の感じ方でしたが、この作品で
【ペドファイル】というのは女の子だけ
でなく、男の子も含まれ、逆に買う側も
男性だけでなく、女性もいる事に
ビックリした・・(^-^;

想像をはるかに上回る現実がそこに
あった・・。

映画では一部分、男の子と、たるんだ
お腹の太った白人のプレーを描いて
いましたが、その後の子供達の具体的な
部分はもちろん描かれていない。
原作では、女の子の膣は切れ毎回出血
をする・・男の子は肛門から出血をし、
2〜3日使い物にならなくなるという。
もちろん、必ずシーツは血みどろになる
そうだ・・。

さらに、原作ではさらに突っ込んで、
女性客は男の子のペニスの大きさじゃ、
もちろん満足できないので、男の子の
ペニスに大人が使うインポ用の
ホルモン剤の薬を注射器で打ち込む・・
そうすると、男の子の小さなペニスが
数分間、成人男性の勃起した時の様な
大きさに膨れあがるのだそうだ・・。
しかし、その薬の副作用は、子供に
とっては凄く、顔が風船のように
パンパンに膨れ、動悸、痙攣、吐き気・・
と摂取量が多いと最終的には死ぬ
という・・その副作用に毎回男の子は
耐え続ける・・。
それを女性客が2本も3本も使い、
戯れる・・。

映画はそこの説明がない所で、男の子
(タノム)は死ぬ・・。
原作ではその前にも何人もの女性客に
ホルモン剤を打たれるという過酷な
状況が伏線としてあった・・。
でも、子役の男の子がそこまで演技を
続ける事が精神的に難しいという事で、
実に簡単に描かれているのだろうけど、
その後、ホルモン剤を打たれすぎて
死んだタノムの命の代償を女性客は
クレジットカードで支払うシーンなどまで
は、きちんと描かれているので、原作と
こうした具体的な映像を同化させて
目の前で観ると、その醜さと、不気味さ
から来る恐ろしさとホラー映画顔負けの
残虐性には、ノンフィクションであって
欲しくないという気持ちと共に、仮に
フィクションだとしても絶句する・・。

そんな子供達と対照的に描かれていた、
子供達を売り買いをし、ホテルでも門番、
脅かし・・という役柄の【チット】という
人物・・。
原作では【チューン】に当たるのだが、
この【チット】も、子供の時に親に売られ
【ペドファイル】にやられている・・。

結局は、親に虐待されると、その子供が
大人になると自分の子供に虐待する・・
のと同じように、【チット】は子供達に
どのように恐怖を与えれば従属するのか?
を身を持ってわかっているのと、タイでは、
親に売られた、親に捨てられたストリート
チルドレンの行く末など、やはり、決まって
しまっているという事も【チット】の
役柄を通して示唆しているんだろうな・・。

ただ、映画においては、表向き【善】側の
主人公である新聞記者の【南部】と共に
実は【悪】側の主人公だったのは【チット】
で、【心の闇】にもっとも深く絡み、結局
【心の闇】故に、2人とも行く末というのは
一緒だったのに、結末は南部は死を選び
【逃げ】、【チット】は連行され、客達が
捕まり、子供達が開放され笑みを浮かべ
【胸を張って】いた・・きっと、

【これで、良かったんだ・・】

と自分自身に言い聞かせるがのごとく・・。
映画のラストを飾る【南部】の結末よりも、
【チット】の方が個人的には印象的だった・・。

長々と書いたが、気持ち的にホッとした
のが、この原作の状況は、すでに10年
以上前の状況が話の設定になっている
のだそうだ・・。やはり、国の恥部です
から、近年タイでは取り締まりが厳しい
ので相当数が減っているらしい。

ただ、映画では触れなかった、原作に
おける

【養子縁組を悪用した幼児人身売買】

は養子縁組が基本的に合法的なため、
減っているというより増えているらしく、
現在のタイでも幼児を連れ歩く白人
男性の不自然な光景はよく見かけ
られるそうだ・・。
本国に合法的に連れて帰って玩具に
する・・場所が変わるだけで子供の
扱いは変わらない・・(T_T)
現在は、そうした事が事実として多い
のならば、その辺もきちんと描いて
欲しかった。
子供達に肌を露出させずに大人を
中心に描く事ができるのに、なぜ
取り扱わなかったのか?
きっと白人を中心に描く事になるのと、
日本人が出てこないのでは、日本人
に伝わりにくい問題になってしまう
だろうというような背景が、ここでも
見え隠れする・・。

そんな中、やはり特筆すべきはタイの
子役達・・これが見事で素晴らしかった。
映像に出てくるタイの子供達の瞳・・。
希望もない・・この先に光もない・・
そんな重い訴えをヒシヒシ感じる・・
胸をかきむしられる・・そんな色々な
事を訴えかける瞳・・この厳しい役柄
を予想以上に熱演していた・・。

拍手を送りたい・・。

演技とはいえ、この瞳の力強さを大人
が理不尽に奪ってしまう事は絶対に
やってはならない・・。
この子役の瞳だけでも、必見の作品
かもしれません。

個人的に救われたのが、闇を描いて
いるのだから、暗い映画になるのは
覚悟していた中、最後に出てくる闇に
葬られた子供達である【ヤイルーン】
と【センラー】が、川で水遊びをしている
シーン・・そして、両親が優しく迎えて
くれるだろう希望を胸に、片足を引きずり
エイズの体で歩き続け、途中で自分が
いつも遊んでいた大木を発見し、大木に
身を寄せる【ヤイルーン】のシーン・・と、
きちんと阪本監督はこちらが闇に
引きずり込まれそうな所で助けてくれる
映像を、この映画の象徴的なシーン
としてきちんと差し込んでくれていた・・。

最後に、この映画の大まかなところが
ノンフィクションだと仮定して、今の
自分に何ができるのか?

こちらも生きていかなければならない
から、NGOなどに参加して行動を起こす
などというのは実際に難しいが、ひとつ
だけ言える事は、どんな大人の理由が
あろうと、どんな大人の理想を掲げようと、
子供を肉体的に殺す、心を殺す、瞳を
殺す社会は間違っている・・叶えては
いけない欲求がこの世にはある・・
それだけは改めて感じた。

でも、ひとりでも多くの日本人がそう
感じる事・・それが子供達を外国で
買う日本人の絶対数を減らせる・・。
もしかしたら、実はそれだけでも、この
映画は十分成功なのかもしれない・・。