| 「その後」 |
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| 世界中のこどもたちが待ちに待った日が迫っている。玩具量販店の入口は常に車が出入りする。黄色いカッパを着込んだ整理員の顔にも疲労の影が濃い。もう夕飯の時刻は始まっている。早いうちならもう済んでいるころだ。電飾がまぶしく点滅を繰り返すゲートを潜るとそこは夢のような文字どおり、おもちゃの世界。ありとあらゆるおもちゃが所狭しと並んでいる。巷で問題となっている某ディスカウントストアのような雑然さはない。だが、この時期のここは時間によっては、すきまの通路を進むことさえ困難なほどだ。イラつく親、泣き出しそうな子供、精一杯の店員。どれも夢の世界には似つかわしくない。わかっているので、最近一ヶ月で3回もここに来ている。かつては、前日くらいに子供・自分の親まで連れてこの雑踏の中で呆然としていた。時間はいたずらに過ぎ、全員が疲れ、特に自分らが「どうにでもなれ」という気分だった。なんとかモノを適当にみつくろって、親に孫の世話を頼んでおいて、そのスキにレジに並んだものだ。レジの進み具合のなんと遅いことか。 あんなのはもうごめんだ。幸いというか、今年は土・日に何かしらの用事があり、みんなが揃って出かけるようなこともなかったのだ。プレゼントの選定にじっくりと3日を費やすことも苦ではない。時間に余裕もあるから、子供の反応を見つつ、自分でも面白そうなおもちゃを試してみる。かつて自分らが夢中になったモノがいまだに売られていたり、復刻版となっていたりする。子供の年齢を考え、いずれ求められるであろうおもちゃについてもいろいろと見てみる。当たり前のことではあるが、自分らのものとは機能も値段も雲泥の違いがある。かつて夢中になったゲームウォッチと同じようなものは、今では1000円程度で店の中でもその他多くのおもちゃの中に埋もれるような扱いだ。今の主流と言えば、やはりソニーのPSと任天堂のGCやらだ。早くからモニターを覗き込んでやるような玩具に夢中になるのは、本意ではないが自分でもやってみたいという気持ちは十分にある。一方で、最近教えたトランプ遊びも子供は好んでやっている。子供の好奇心は広範だ。なんでもやらせてみればいいだろう。身体を動かす遊びはもちろんのこと、例え動きもしないビニール製の人形であれ、もっといえば玩具でもないもの、財布であれ、薬壜であれ、必要があれば、それを何かに見立てて遊ぶに違いない。自分たちがそうであったように。(Page.2へ続く) |
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