| 「病」 |
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| 最近、技術はエコロジカルな方向性に進んでいると思われるだろうが、実際にはそのエコロジカルな製品を産み出すのに、たいへんな環境破壊をしていないだろうかとかんぐってしまう。エネルギーと言う観点でいえば、地球は宇宙空間において、誕生時よりエネルギーを放出し続けており、一方で太陽放射も受けつづけている。そのバランスがどんな星でもどこかでとれていて、地球の場合たまたま、生命維持に都合のいい温度を保っているということになる。地球温暖化によって、気温が上昇するのなら、原因とされている二酸化炭素を減らしましょう、一方では二酸化炭素の固定化を行いましょう、ということになる。だが、だれもその裏側ではどんな環境破壊が行われているかは知らないのだ。 ずいぶん内容も逸脱してしまったが、地球と人間、人間と病の関係は似ていると思うのだ。違うのは、人間は地球のほんの表層だけしか利用せず、新天地を地球外に求めているということである。また、それが実現した場合には宿主である地球がどうなろうと、自らの存在には影響しないということである。これは種族維持としては間違ってはいない。しかるに病はどうであるか?病は宿主の身体の中で増殖し、その結果、宿主を死に至らしめることもある。もちろん、宿主が死んでしまえば、自らの生命も終わるので、一見矛盾しているように思う。しかし、本当はより自らが安全に長く生活できるように、宿主に自らに対する免疫を得るように働きかけている結果なのかもしれない。病が外界から人間の体内に入ってきて、増殖し、また別の人間へと伝播していくウイルス性のものであっても、宿主との共存は必要であろう。 人は病を抑制ないしは撲滅するために、薬を使う。かつて、抗生剤は画期的な薬だった。しかし、ウイルスも必死に自らの道を探し、環境の変化に対して自らを変化させてきた。もし、ウイルスの目的が宿主との共存にあるのだったら、このいたちごっこはどちらかが対応を諦めるまで続き、どんな方法であれ、身体にとり込まれることとなるのであろう。そう、病がただ駆逐されるのを待っているわけはない。どんな形かは知らないが、身体に影響を与えない形でとり込まれているに違いないのだ。それは、どんな病であれ、発症ごとに何度も行われていることだろう。 病は幾多の逆境にさらされ、自らの身体を新化させた。人は同様の境遇にさらされて、自らが作り出すものを新化させてきた。技術の革新は人の思考をかえはしない。変えなければならないものを変えるチャンス、それを見逃しているような気がする。 |
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作:shun | |