「年末年始」 Page.1
 
 年末と正月という忙しい時期が過ぎて仕事始めもやってきた。重い腰と気持ちを無理やり電車に押し込んで新年ははじまった。年末といえば大掃除と年賀状書き、この2つがほとんどを占める。本当はその前に忘年会という行事もあるのだがこれは有馬記念開催日に反省会を兼ねて行ってしまい、それで用はすんでしまうのだ。
 大掃除、新年を迎えるにあたって家の中を整理する、一年の汚れを落とす。理屈はわかるのだが、実施はかなりおっくうだ。家族の成長とともに家の中にモノがあふれ、同時に整理しようという気持ちは失せていく。本当に行うとこんなにゴミがあったんだと感心してしまう、それはもう大変な量である。家の容積は決まっているので、いらないもの、使わなかったものは捨てられる運命にある。このときばかりはノスタルジックな気分とはオサラバするに限る。時間も場所もないのだからしかたない。しかし、どう考えても他の家が自分の家ほど大掃除というものに重きをおいていないような気がするんだが、どうだろう。どこに行っても人はいるし、近所を見回しても我が家のような大掃除のけたたましい気配はない。でも実際には年末のゴミ集積場は大賑わいだし、年始のゴミ集積場も同様である。不思議なものだ。普段からキレイに掃除をし、無駄なものを残さないでいれば大掃除は必要がないと思う。実際には新年をさわやかに迎えたいという気持ちの問題がある限り、大掃除はなくならないだろう。これは大半の日本人はそう考えるだろうし、普段信じてないようなふりをしているが実際には神様を信仰しているんだなとも思う。
 年賀状もやめられない(やめようとも思っていないが)行事のひとつだ。年が明ければ否応なく会う会社の人や普段からしょっちゅう会っている人に出す必要は本当はないと思うのだが、これも信仰に近いものがある。一方であまり会う機会がない人の近況を知ったり、つながりの継続手段としては実に都合よく軽い気持ちでできる便利なものだとも思う。こっちから出して返事が返ってこないと不安になったり、気分を害したりすることもあるのだが、それはそれ。以後出すのをやめるきっかけになると思えばいいのだ。それに毛筆の腕を自己確認するほとんど唯一の機会でもある。
(Page.2へ続く)

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