| 「夏の風物詩―その妙なる物―」 |
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| 夏の訪れは梅雨のさなかに感じられる。本当の夏、あの容赦なく照りつける太陽とコンクリートの照り返し、冷房のきいた電車(そういえば必ず'弱冷房車'とことわっているのだがそれ以外の、例えば'強冷房車'といったものに出くわしたことはない)夜まで続く熱気といったものは梅雨の最後を告げる雷とともにやってくるが、そのちょっと前に夏の訪れを示すものが私の中にはある。梅雨の晴れ間、それもたいていは雨の直後のように実際は何日も降っていないにも関わらず湿気が多く感じられる日、低山の麓の小さな小川の流れ出しに向かう。水深もなくまさにチョロチョロという表現がぴったりくるようなその流れの周辺にホタルはいる。ものの本によれば昭和初期までは都心でも普通に見られたらしい。その生息域は戦後の都市の発展に合い呼応するがごとく後退の一途をたどり、今ではかなり見るのは難しくなっている。問題はホタルが基本的に里山の生き物であるという点にある。ようするに人間の生活圏にほぼ密着しているといってよく、それでいて安定した環境(農薬なんかは論外)を求めるものだから、生存が難しいのだ。もし、本当に高山とかの清浄極まりない湧き水でしか発生できないのならば、その保護はもっと簡単であっただろうとも思う。 こんな東京にもホタルは未だに生息している。最近は好事家の養殖によって東京の南部に位置する国分寺崖線という台地面が一段下がるところを流れる湧き水に沿って見られる。しかし、天然物も時期と場所さえ間違わなければかなりの確率で見ることが可能である。それも大きな街道から数十メートル程度しか離れていない場所で自然発生しているケースも多い。そんな場所では近くに街灯が点在することもあって、その光はやや神秘性を失ってしまうが、それでもこの時期の週末は夜な夜な出かけていって明け方帰宅するといった感じだ。まるであいびきにでかけるようなものだが、その光は遠めにでも見られると本当に癒され何時間でもその場所に留まりたくなる。もっともそんな市街地に近いところでは周りに住宅も多く、うろついているだけで不審者として通報される可能性もある。まったく無粋な時代というものだ。(Page.2へ続く) |
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