| 「失われしもの」 |
Page.1 |
|
| 未だに交通事故というと思い出すことが2つある。ひとつは近所に住んでいた少年で仮にM君としておこう。M君は確か自分よりは2、3年は学年が下であったと思う。というよりも正確なことはわからない、付き合いがなかったからだ。しかし、親は当たり前ではあるがM君の家のことを知っていて、M君の話はときたま食卓などにのぼることはあり、その内容からそんな感じであったと記憶している。M君の家の向かいにK君の家がある。K君が自分と同い年で遊び相手でもあった(それほど親しくはなかったが)のでそこいらに行くことはかなりあったのだが、M君の姿は見たことすらないのだ。 そのM君は自分が小学校の高学年であるとき、交通事故で亡くなった。なんでもバスに轢かれたのだという。事故現場はM君の家のすぐ近くであった。自分とはそれほど縁のない近所の子供が不幸にして交通事故にあい亡くなった、このことが初めて死というものを身近に感じた時であった。自分はその事故現場にいたわけではないし、事故の状況についても当時知ろうともしなかったが、M君の事故のイメージ図は自分の中でできあがっていて、それではバスの左の前輪がM君のなぜか頭の上に乗り上げていた。 もうひとつは家のすぐ脇の道で轢かれた猫の姿である。休日の朝であり、野良ではあったがその白い毛並みにはほとんど血がついてなく、わずかに口元あたりに見られる程度であった、しかし・・・その顔は今でも忘れることはできない、なんとも言えない恨みがましいものであった。そこには「なんでオレが」という強烈な怨嗟が感じられ、まるで自分がその事故の当事者でもあるような気分になった。無意識のうちに両手の親指を隠し、その思念に犯されないよう、すぐにその場を離れたことを昨日のことのように覚えている。 この2つの事故は自分の心に延々と残るある種の衝撃を与えたものであるが、後者については対象が猫であることから、「たたり」ということでは非常に恐ろしかったものの、元来その種の感覚に疎いことと、その事故における猫の味わった恐怖について自分にフィードバックすることはなかった。しかし、M君のことについてはそうはいかなかった。(Page.2へ続く) |
||
|
|
||