| 「鼻の話(第一回)」 | <おすすめBGM>I WILL SURVIVE/by CAKE/in Fashon Nugget |
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| アダムとイブが口にした禁断の果実である。その必要がなかったからそのままでいた訳で、知ってしまったがゆえに羞恥心を知る。動物と大きく違う点でもあり、人間の背負う哀しい性でもある。必要がなかったというのは、今の僕等からすれば凄い事である。公衆便所でしきいがないのは、うんこをしてる姿をあかの他人に見られても平気だからである。公衆便所がなかった頃は野ぐそのし放題で街中が臭かったに違いない。それでもケツは拭いていたのだろうか?街中がうんこ臭いのに自分がうんこ臭いのは気にならなかったのだろうか?元々、おしりの構造自体、においを覆い隠す造りになっているが、それでも臭っていたに違いない。 禁断の果実を口にしてしまった僕等は、街からうんこの臭いを消し、トイレットペーパーで拭いきれない微かなにおいもウォシュレットで洗い流し、うんこのにおいそのものを消そうとする所まで来ている。シリアルやカロリーメイトが示すように、この先は食生活ももっともっと変わり簡素化され、終いにはうんこを出さないために食わなくなっちゃうかもしれないし、さらに、においを感知する鼻なんかいらないと思うようになって、世界のあちこちで鼻のない子供が生まれて来るかもしれない。そういえば、宇宙人の代表格グレイには鼻がなかった。進むべき道なのかもしれない。最近は、ひとと話してても鼻ばかり見てしまう僕は、人類が向かえた鼻の危機に直面して少し当惑している。もう少しだけ考えて見たいと思う。 数年前、悪臭防止法改正法が施行された。においの中にそれまで定められた規制物質が含まれていなくても、においが強ければ規制できるもので、その番人としての国家資格まで定められた。前述したが、時代は消臭の一途を辿っている。におうものは邪魔とされ、余分な情報として捨てられていく。くさいものから順に葬る傾向にある。過度に付けたコロンを匂わす人もいなくなり、今は微香性位だが、そのうちきっと無臭になってしまうだろう。 においの良い悪いの判断は、個人的な体験(文化、習慣、環境)に大きく作用されると言われる。大人がいい香りと考えるヒノキのにおいは、子供にとって不快と判断されるのは、『くさい』は未熟の象徴という通念があるため、「解らないにおい」=「不快」という思考が働く為と考えられている。やがて、子供も成長においての学習でヒノキのにおいも、「いい香り」と学んで行くのである。 そう言えば、小学2年生の授業参観の時に、親達の香水が混じり不快に感じた僕は「うんこくせー」と叫び、担任に怒られた覚えがあるが、これも「解らないにおい」=「不快」ということだったのである。(Page.4へ続く) |
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