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米下院の下品さ

「米下院外交委員会は26日(日本時間27日未明)、第2次
 大戦中の従軍慰安婦問題に関する対日謝罪要求決議案を
 賛成39、反対2の大差で可決した。決議案への支持は
 共和、民主両党に広がっており、7月中に本会議で採択
 される公算が大きくなった。法的拘束力はないが、採択回避
 を求めてきた安倍政権には外交上の痛手となりそうだ。
 決議案は日系のマイク・ホンダ議員(民主)が1月末に提出。
 旧日本軍が若い女性を「性的奴隷」にしたと非難した上で、
 日本政府に公式かつ明確な謝罪のほか、教育の徹底などを
 求めている。採決前にラントス外交委員長らの提案で一部
 修正され、「首相が公式の謝罪声明を出せば、これまでの
 声明の誠意について繰り返される疑問の解決に役立つ」との
 文言が盛り込まれた。」

まったく、米下院外交委員会はどうしようもないな・・。凸(-""-)
【マイケル・ホンダ議員】が、なぜ今や論破されている
【従軍慰安婦問題】を蒸し返すのか?
簡単に言えば、【左翼】として、特定アジアの支持を得る事
により、一部の圧力団体とその支持が欲しいからである。
ただそれだけのために日本が利用されている。
この【マイケル・ホンダ】という人物、こいつがどのような
背景を持った人間か?は

【出る杭は叩き続けるしかない 2007年2月19日(月曜日)】
http://www.hearts.jp/user-cgi-bin/diarypro/diary.cgi?no=870

に書いたのでそちらを読んで頂くとして、

【ただアイム.ソーリーと言う事が、なぜそれほど難しいのか
 (民主党・スコット氏)】

自分たちはどの世界も認めている【原爆×2発&東京大空襲】
という、国際法違反の民間人大虐殺を行って謝罪もして
いない国が何を言っているんだ?おい!

いずれにしても、法治国家である以上【証拠】がなければ、
いくら日本軍が戦争中に中韓の女性を性奴隷として強制徴用
したことは明白だと証言があっても、これは本当かも
しれないが、嘘かもしれない。
そもそも、日本において、性善説に基づいて【証言】だけ
で犯罪者が裁かれたら大変な事になる。
それは日本国民はほとんど人が気付いているはずだ。
良い例が、先日の山口県光市母子殺人事件じゃないが、
21人の弁護団によって元少年・福田孝行がドラえもん
だの魔界転生だのと、とんでもない証言をしている。
みんな自分がかわいいのである。自分に都合の良い事
しか言わないのである・・そして、弁護士も自分たち
の利得にしか動いていないのである。
しかし、この事件において【証拠】を無視して、元少年
・福田孝行の【証言】だけで判決が出たら、夫の本村洋さん
はどうなる?
それは日本だけの考え方ではく、そもそもアメリカで
あっても同様で、【証言】だけで裁く事はないはずである。
でも日本へはそれを認めるとしたらやはり【米下院は下品】
としか言わざるを得ない。

いずれにしても、法治国家においては、日本軍の強制連行
の【証拠】がない以上、【従軍慰安婦問題】は終わって
いるのである。
敗戦国は責任と謝罪をし続けろという結果になってはいけない。

日本人の味方なのか?朝鮮人の味方なのか?

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**************************************
 在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の中央本部の土地と
建物が売却された問題に、東京地検特捜部の捜査が入った。
購入した投資顧問会社の代表取締役の緒方重威・元公安
調査庁長官(73)の自宅などへの13日の家宅捜索。
緒方氏、そして売却話を持ちかけた元日本弁護士連合会
会長の土屋公献氏も検察の意図に疑問を呈すが、会見など
での発言には不自然さがつきまとう。

■総連との接点はいつ?

 13日の記者会見で緒方氏は、公安調査庁調査第2部長を
していた1985年ごろ、調査対象だった朝鮮総連中央本部
が北朝鮮の大使館的な役割を果たしていることを認識した
ことを明らかにした。
その後、総務部長、93〜95年には長官を務め、計3回の
公安庁勤務時代はいずれも総連に関する情報が上がる部署
にいた。
 緒方氏は総連を調査する立場のため、これまで幹部と
接触する機会はなかったという。しかし、今回の取引を
巡って実質的トップの許宗萬(ホジョンマン)氏と面会。
印象について「人間として信頼できる人物」と語った。
 「じっくり話し合ったうえでの信頼関係だ」と取り引き
について説明。土屋氏の売却話の持ちかけから売却まで
わずか1カ月で、かつての「調査対象」とそこまでの
関係を築けるのだろうか。

■資金の調達は

 土地と建物の買い取り額は35億円。出資者は高額な
資金を負担する必要があるが、緒方氏は「民間でも力を
貸したいという日本人が複数いる」と語るが、出資者の
人数や立場などについては言及を避けた。
 朝鮮総連系の商工団体加盟者には、パチンコ店経営者ら
比較的資金力のある人たちがいる。しかし、会見で緒方氏
は「うちわだけで金を作って所有権を移転すれば整理回収
機構から仮装売買とか、強制執行妨害だと非難される」と
説明し、資金源は「日本人」を強調する。
 実は、03年に朝銀東京の融資がらみで回収機構に債権
譲渡されたビルの競売について、入札締め切り翌日に機構
が取り下げるという異例の事態があった。この際入札に名乗り
を上げたのは、総連関連の商工団体だけで、機構側が「身内
の譲渡」に当たると判断したのが背景との噂が広まった。
今回、実際にまだ資金を集められていないという。
出資者は本当に日本人なのか、あるいは実在するのかという
疑惑さえ浮かぶ。

■ビルに緒方氏の影?

 緒方氏が代表取締役を務める「ハーベスト投資顧問」は、
関東財務局に投資顧問業登録をしておらず、日本証券投資
顧問業協会にも加入していない。
緒方氏は、ハ社がペーパーカンパニーと認め、「売却話が
持ち込まれた4月中旬以降、紹介されて便宜的に使った」
と説明する。しかし、同月までハ社の登記上の所在地だった
東京都千代田区のビルには、以前から緒方氏の出入りが
確認されていた。
 ビルにはハ社と別の投資顧問会社が入る。役員は「2年
ほど前からうちが進めていた業務に関係し、緒方氏は
たびたび訪れていた」と打ち明ける。緒方氏は13日の
会見で「投資ファンドの世話をしている人間が『きれいな
会社だから使おう』と提案した」などと説明したが、
協力者の素性などは明らかにしていない。
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北朝鮮に関しては【徹底的にやるべき!】というスタンス
の自分だが、今回はちょっと不気味な出来事だ・・。
今、日本には膨大な数の朝鮮総連の関連施設がある。
ほとんどが戦後の不法占領から始まり、いわゆる我が国
の領土を盗み、脅かし、かすめ取り略奪したモノだ。
ご存知の通り、東京千代田区富士見町にある

【朝鮮総連中央本部】

は、その中心施設で、北朝鮮における悪事はここを
中心に行われていると言っても過言ではない。
その【朝鮮総連中央本部】にある【奥の院】に関しては、
何もわかっていないの現状だ。
2001年11月29日に朝銀の資金不正流用事件で、初めて
【朝鮮総連中央本部】に入ったが、それだってかなりの
抵抗があり、内部に入った捜査員も30人に限定された。
それほどまでに頑なに閉ざしていた【朝鮮総連中央本部】
の土地と建物が、2007年5月31日に【ハーベスト投資
顧問株式会社】に売却されていたことが判明した。
しかし、この【ハーベスト投資顧問株式会社】は実態の
ないいわゆるペーパーカンパニーと見られており、
売却の約1カ月前の2007年4月19日に代表取締役が
元公安調査庁長官の緒方重威(しげたけ)氏に代わり、
同日に同社所在地も中央区内から目黒区柿の木坂の
緒方氏の自宅に移っているという不気味さ・・。
さらに、2007年6月13日に報道されているように、
緒方氏は記者会見を行い、6月18日に判決が予定されて
いる朝鮮総連と整理回収機構との間の裁判の結果、
【朝鮮総連中央本部】等が差し押さえられる可能性が高く、
その結果、

【在日朝鮮人にとっての大使館が無くなり、彼らが棄民
 となるのを見るのが忍びない。またその種の施設が
 存在する事が日本の国益に適うと信じている】

という驚くべき発言をした。
そもそも、北朝鮮と日本は国交がないので、北朝鮮の
大使館は存在しない。そんな事はわかりきっているのに、
そう頭の悪い発言している。

さらに同日、【東京地検特捜部】が【電磁的公正証書
原本不実記録】などの容疑で同社及び緒方氏の自宅の
【家宅捜索】を行った。
この売却は【代金支払い前に登記】が行われており、
これは【差し押さえ逃れのための虚偽の登記】とでは
ないかとの疑いに基づく捜査とされているが、これが
またまた不気味さを増す形になった。

なぜなら、そもそも【朝鮮総連中央本部】を最終的に
潰すには、差し押さえでも何でも手法は構わないが、まず

【東京都か公安が買う】

のが最適だと思っていたからだ。
で、その図式として、まず、東京都が極悪非道な朝鮮人
の恫喝を恐れず

【固定資産税の減免という在日特権】

の壁を打ち破った。次に、この東京都と公安がつるみ、

東京都が固定資産税滞納で資産差し押さえでさらに圧力
→結果、【朝鮮総連中央本部】が本部不動産を売りに出す
→しめしめ・・と東京都か公安関係が買い上げて
【朝鮮総連中央本部】の監視を徹底的に強化する。

という【朝鮮総連中央本部】封鎖の図式。そして、
この図式に対して、

★公安庁長官が朝鮮総連本部売却問題で陳謝
★総連本部売却に首相不快感「元長官は立場自覚を」

ときた。
もちろん、表向きは【朝鮮総連中央本部】への【利便供与】
となり非難されるので、公安庁長官の謝罪、首相不快感は
当然だ・・という絶妙なトリックであって欲しいのが
個人的な思いだ。

だが、この図式だとするならば、なぜ裁判の結果を
待たなかったのか?が疑問になる。
さらに、緒方氏個人でやったとするには、犯罪である
【仮想売買】では無防備すぎる。そして、あまりにも
北朝鮮という宗教にのめり込んだようなアホ【信念】
会見を行った。
自分が北朝鮮側だとするならば、どうせ取り込み利用
するならば、公安のできるだけ上の人間を狙うだろう
から緒方氏はまさにターゲットとしてはふさわしい・・。
という事は、悲しいが現段階では、素直に

【公安庁元長官の緒方重威氏と北朝鮮は繋がりが
 あったと考えるべき】

という結論にたどり着いてしまう・・。

このままでは、所有権を手放させたものの、【朝鮮総連
中央本部】は今まで通り機能してしまう。
それだけでなく、資金繰りに困った【朝鮮総連中央本部】
を救済した事になってしまう。
せっかく、東京都が極悪非道な朝鮮人の恫喝を恐れず
【固定資産税の減免という在日特権】の壁を打ち破った
意味さえも失われてしまう・・。
そこまで公安も東京都も国もバカでないと考えたい・・。
いずれにしても、【公安調査庁】という組織が日本人の
味方なのか、それとも朝鮮人の味方なのか、今の所、
見届けるしかなさそうだ・・。

出る杭は叩き続けるしかない!

*ご注意* 
今日はちょっと資料を出すのでやたら長いです・・(^-^;

「いわゆる従軍慰安婦問題をめぐり、河野洋平衆院議長
 が元慰安婦への支援活動を行ってきたアジア女性基金
 (理事長・村山富市元首相)のインタビューに【従軍
 慰安婦というもの自体がなかったといわんばかりの
 議論をするのは変だ。全部うそだと議論して騒ぐのは、
 知的に誠実ではない】と語っていることが3月29日 、
 分かった。河野氏は1993年、旧日本軍の関与を認めて
 謝罪する官房長官談話を出しており、最近の談話見直し
 の動きを批判したものだ。
 発言は、同基金が29日に発行した単行本【オーラル
 ヒストリー アジア女性基金】に掲載された。
 河野氏は、政府の元慰安婦16人への聞き取り調査に
 ついて【厳しい目にあった人でなければできないような
 状況説明が次から次へと出てくる】と指摘。【(談話は)
 政治的判断だという方がいるが、そう思っていなかった。
 人間として、きちんとして差し上げなければと思った】
 と談話に至る経緯を語っている。
 自民党などから談話を見直すべきだとの意見が出ている
 ことについては【そういう気持ちはまったくない。
 (同問題を)恥ずかしいことだと受け止めて、今後は
 しないと誓うことの方がよほど勇気のある、正しい行動
 ではないか】と反論している。」

いやいや、河野氏は、

【厳しい目にあった人でなければできないような状況説明
 が次から次へと出てくる】
【(談話は)政治的判断だという方がいるが、そう思って
 いなかった。人間として、きちんとして差し上げなければ
 と思った】

と、またまた証拠もなしに、個人の感情だけで発表した
談話だという事が良くわかる。
河野氏は、自分の発言が国際的にどう利用されるか?
当時は考慮できず、複数国のメディアを利用した
【反日イメージ戦略】にまんまとのってしまった。
もちろん、河野氏個人が、私財でもなげうって謝罪する
なら勝手だが、国として責任を・・となると、根拠を示す
必要がある。
法治国家として、絶対に証拠が無ければいけないのだ。

そして、そんな軽い経緯で先祖を極悪非道な人たちと
位置づけたこの談話が再び、論議となっているだけでなく、
【慰安婦問題】など、もうすでに論破されているのに、
ぶりかえした・・本当にバカバカしい・・。

アメリカでは、

「 米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)によると、
 シーファー駐日米大使は3蛾16日、一部記者団に対し、
 太平洋戦争中の従軍慰安婦について【強制的に売春を
 させられたのだと思う。つまり、旧日本軍に強姦された
 ということだ】と語った。 大使は、2月に米下院外交
 委員会の公聴会で証言した元慰安婦を【信じる】と述べ、
 慰安婦が強制的に売春させられたのは【自明の理だ】
 と語った。 また、従軍慰安婦問題への旧日本軍の関与
 を認め謝罪した1993年の【河野洋平官房長官談話】
 を日本政府が見直すことのないよう期待を示した。
 安倍晋三首相は4月下旬に訪米予定。ロイター通信に
 よると、同大使は、従軍慰安婦問題で首相訪米が
 【台無しにならないよう望んでいる】と述べ、影響を
 懸念した。(ワシントン共同)」

と言うが、

<大元はこれ>
http://www.exordio.com/1939-1945/codex/Documentos/report-49-USA-orig.html
<日本語訳・その下に原文>
http://www.geocities.com/theaterapo689/
(*なくなったり、アドレス変わったりすると困るので、
 下記へコピペします)

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UNITED STATES OFFICE OF WAR INFORMATION
Psychological Warfare Team
Attached to U.S.Army Forces India-Burma Theator
APO 689

Japanese Prisoner
of War Interrogation
Report No. 49. Place interrogated : Ledo Stookade
Date Interrogated : Aug. 20 - Sept. 10, 1944
Date of Report : October 1, 1944
By : T/3 Alex Yorichi
Prisoners : 20 Korean Comfort Girls
Date of Capture : August 10, 1944
Date of Arrival : August 15, 1994
at Stookade

前書き

このレポートはビルマ、ミーチーナ陥落後1944年8月10日
前後の、掃討作戦により捕らえられた、20人の韓国人
「慰安婦」と、2人の日本民間人の取調べから得られた
情報である。

このレポートは日本人がどのようにして韓国人「慰安婦」
を募集したか、彼女らの生活、仕事の状況、彼女らの
日本軍人に対する関係と反応、そして彼らの軍事情勢
に対する理解度を明らかにする。

「慰安婦」とは、売春婦にすぎない。
もしくは「野営追随プロ」、軍人の利益の為日本陸軍に
付属する。
「慰安婦」と言う言葉は日本人特有のものである。
他のレポートでは「慰安婦」とは日本陸軍が戦う為に
不可欠なものであり、どこでも見受けられると記されている。
このレポートではしかし、日本人に募集され、ビルマにて
彼らの陸軍に付属していた韓国人「慰安婦」のみを扱う
ものである。日本人は1942年、ビルマに703名のこれら
の女性(*1)を送ったと報告している。

*1(原文ではgilrs=主に少女を意味する言葉が使われて
   いるが、後に慰安婦の平均年齢25歳と書かれている
   為、女性と約しました。)

募集:

1942年5月上旬、東南アジアの新しく勝ち得た属領で
「慰安奉仕」をさせる韓国人女性を募集する目的により、
日本人代理業者は韓国に到着した。
この「奉仕」の本質は特定されず、病院の負傷患者の訪問、
包帯を巻いたり、軍人を明るくする事に関連する物と
考えられた。
この代理業者が動機として利用したものは大金、家族の
借金の返済、簡単な仕事、新天地シンガポールで新しい
人生を送れるなどである。この虚偽の説明に基づいて、
多くの女性が海外勤務に志願し、何百円かの前金を受けた。

これらの大部分の女性は無知で、教養が無かった。
しかし、わずかながらだが以前から売春と関連があった
者も居る。彼女らはサインした契約書により、家族の
借金返済の為受けとった前金の金額により、6ヶ月から
1年間、軍規と「舎監(*2)」に束縛された。

おおよそ、800名の女性がこのように集められ、彼女らは
1942年、8月20日前後ラングーンに彼女らの舎監と
降り立った。彼女らは8人から22人のグループで到着した。
ここから彼女らはビルマの各地、大抵は近くに日本陸軍
基地があるまあまあ大きな町へに分散していった。
最終的に4つのグループがミーチーナにたどり着いた。
彼らはキョウエイ、キンスイ、バクシンロ、モモヤマ
であった。キョウエイの一家は「マルヤマクラブ」と
呼ばれていた。が、彼女らがミーチーナに到着した後、
ミーチーナ駐屯地の司令官であるマルヤマ大佐と同じ
名前の為変更された。

*2(ほぼポン引きと同義語)

性格:

取調べでは、平均的韓国人「慰安婦」は約25歳、
無教養、大人気なく、利己的であることを見せる。
彼女は白人の基準からも、日本人の基準からも
可愛くはない。
彼女は自己中心的な傾向があり、自分の事を話すのが
好きである。
彼女の知らない人の前での態度は静かで、控えめだが、
彼女は「男を手玉に取る方法を知っている。」(*3)
彼女は自分の「専門職」が好きでない事を申し立て、
その事や、家族の事に付いて話したがらない。
ミーチーナとレドゥーでの米国軍人から捕虜として
受けた扱いにより、彼女は彼らの方が日本軍人よりも
感情的だと感じている。
彼女は中国とインドの部隊を恐れている。

*3(自分が女である事を利用した悪巧みの方法を
   知っている?いまいち訳しきれてません)

住居と仕事の状況:

ミーチーナで彼女らは大抵大きな2階建ての建物を
宿舎として与えられ(大抵は校舎)、各女性に個別の
部屋が割り当てられ、各々の女性は生活し、睡眠を
とり、業務に勤めた。
ミーチーナでは彼女らの食事は、日本陸軍からの
配給が無い為、舎監によって、準備されそして購入
していた。彼女らはビルマの他の所と比べて高級地
近くに住んでいた。
この事は彼らのビルマ2年目では特にそうである。
彼らは贅沢に暮らした、それは彼女らの食事や物質
は大量には配給されず、彼女らが望む品物を買える
だけの十分なお金を持っていたからである。
彼女らは服、靴、タバコ、そして化粧品を買え、
実家から慰問袋を受け取った多くの軍人から、多くの
プレゼントを貰っていた。

ビルマに留まっている間は将兵と共に、スポーツイベント
に参加したり、ピクニックに出席したり、娯楽、社交
ディナー等で彼女ら自身楽しんだ。
彼女らは蓄音機も持ち、町の中では買い物に行くこと
も許された。

優先システム:

彼女らの業務状態は陸軍規定の元にあり、過密地域では
規則は厳格に実施された。
陸軍は過密地域では金額、優先順位、各種の部隊が
過密して働いてる地域での計画が必要だと考えた。
取調べによると、平均的なシステムは以下の通り。

1 兵士 10AM〜5PM 1.50円 20〜30分
2 NGO 5PM〜9PM  3.00円 30〜40分
3 将校 9PM〜12PM 5.00円 30〜40分

これらは中央ビルマでの平均金額である。将校は12円
で一晩留まる事が許された。
ミーチーナではマルヤマ大佐が平均金額のほぼ半分まで
金額を削減させた。

日程:

兵士はしばしば建物内の混雑に不満を漏らした。
陸軍は長居をする事に対し非常に厳しかった為、多くの
状況で彼らは奉仕を受けずまま去らなければならなかった。
この問題を解決する為に陸軍は特定の曜日を特定の部隊に
割り当てた。大抵1日に付き、部隊から2人が兵士らを
識別する為、建物に駐在した。秩序維持を為に、憲兵も
見回りを勤めた。
下記に記したものがナイミョウに滞在していた間、第18
師団の各種部隊がキョウエイで使用した日程である。

日曜    18師団、司令部、所属
月曜    機甲部隊
火曜    工兵
水曜    休日、毎週の健康診断
木曜    衛生兵
金曜    山岳砲兵部隊
土曜    輸送部隊

将校は週7日来る事が許されていた。
彼女らはこの日程でも過密極まりなく、その為、全ての
客に構っていられないと文句を言い、それ故多くの兵隊に
悪感情をもたらした。

兵士は建物を訪れ、支払いをし、左側に順番、右側
に名前の書かれた約5センチ四方のボール紙の
チケットを受け取る。「彼の順番が来た時」に
各々の兵士の身分、階級が明らかにされる。
彼女らは客を拒否する特権を与えられており、
個人が酷く酔っていた時等、頻繁に行使された。

給料と居住状況:

「舎監」は彼女達が契約した時に被った債務金額に
次第で彼女らの総収入の50〜60%を受け取る。
これによると、月平均で女性は1500円を総収益を
あげ、彼女は750円を「マスター」に返済する事
になる。
多くの「マスター」は食事や品物に高値を付け、
彼女らの生活を困難なものにした。

1943年後半、陸軍は債務を返済した女性へ帰省を
命令し、何人かの女性は寄って、韓国へと帰国した。

この取調べでは彼女らの健康状態も良い事を示している。
彼女らはあらゆる種類の避妊用具を十分に支給され、
しばしば、兵士自身も陸軍から支給された物を持って
来る事があった。彼女らは衛生の問題において客と
自分の世話が出来る様、良く訓練されていた。
かかりつけの日本軍医が週に1回訪れ、病気が
見付かった女性は皆治療を受け、隔離され、最終的には
病院へ送られた。この同じ手順が陸軍内部でも遂行された。
が、興味深い事には兵士は彼が拘束された(*4)期間
の間、給料を失う事は無かった。

*4(病気による隔離、拘束)

日本人兵士への反応:

取調べにより、彼女らと将兵との間柄に置いては、
二つの名前に帰結した。
それらは、ミーチーナ駐屯地の司令官である、あの
マルヤマ大佐と援軍を率いて来たミズカミ少将である。
二人は対照的で、前者は堅物で利己的で冷淡で、部下
への配慮も無い。後者は善良、親切な男で、立派な軍人
であり、彼の元働く部下へも最大の配慮をする。
大佐は彼女らの常連であり、少将が訪れた事は聞かれた
事が無い。
ミーチーナの陥落とともに、マルヤマ大佐は逃亡した
と思われ、一方、ミズカミ少将は、部下を撤退させる
ことができなかった故に自決した。

兵士の反応:

普通の日本軍人は慰安ハウスで見られる事は、ばつの
悪い事のようで、ある女性の言う所によると、「満員で
列に並んで自分の順番を待つのにも恥ずかしがりがち」
しかしながら、極めて多くの結婚の申し込みがあり、
ある場合に置いては実際に結婚した。

全ての女性が彼女らの所へ来た将兵のうち、翌日前線へ
向かう兵士と、酔った物が最悪であると同意した。
しかし同様に、酷く酔った日本人兵士であっても、
彼女らと機密や軍事問題を話題にする者が居ない事にも
同意した。
しかし、女性の方から軍事問題を会話を始めても、将校
又は下士官兵は話さず、むしろ「そのような女性らしく
ない話題について話す事を説教された。
酔っ払ったマルヤマ大佐でさえ決してそのような問題に
ついて話す事は無かった。」

兵士はよく実家からの雑誌や、手紙や、新聞を受け取る
ことをいかに楽しみにしているか表現したと言う。
彼らはまた、缶詰、雑誌、石鹸、ハンカチ、歯ブラシ、
小さな人形、口紅や木製の服(*5)であふれた慰安袋を
受け取った事にも言及した。
口紅と服は女性の物であり、彼女達は何故実家の人達が
そのような物を送るのか理解出来ないが、送り主は彼女
自身か、現地の女かしか受け入れられなかったと憶測する。

*5(ありえないけど、wooden clothes=木製の服と
   書いてあります。)

軍事情勢:

ミーチーナと臨時滑走路への第一攻撃で、町の防衛に
200名を残し、200名の日本人が死亡した。
弾薬は極わずか。

敵の臨時滑走路西への攻撃の前、ミーチーナ周辺に
駐屯していた兵士は北部と西部で攻撃していた味方の
波乱の為、他の場所に派遣された。
約400名が取り残され、第144連隊から大きく孤立した。
どうやらマルヤマ大佐の町が攻撃されるとは思わなかった
ようである。後に、第56師団のミズカミ少尉が
2ヶ連隊以上の増援を率いてきたが、それでも町を
死守する事は出来なかった。

味方の爆撃が強烈で恐ろしかった事は女性達みなの
総意で、そのおかげで、彼女達は塹壕で最後の日の
殆どを過ごした。1、2人はそこでも仕事を営んだ。
慰安ハウスは爆撃を受け、何人かの女性は負傷し
死亡した。

撤退と捕獲:

「慰安婦」の撤退と最終捕獲の話はやや曖昧で彼ら
の心も混乱しており、様々なレポートによると、
下記のような事が起こったようだ。
7月310日の夜、2箇所の「慰安婦達」(バクシンロ
がキンスイに合流)、家族連れ、お手伝い達ら63人
の集団が、イラワジ川を小さなボートで渡りはじめた。
彼らは結局、ウェインマウの近くに上陸し、8月4日まで
留まったがウェインマウには1度もよらなかった。
そこから8月7日に敵との小衝突により仲間と別れる
まで、彼らは兵士の集団の進路に付いていった。
3時間の合間を置き、彼女らは兵士達の後を付いて
行くよう命令されたが、結局兵士や渡った手段の痕跡
を見出せないまま川の堤防に佇む結果となった。
彼らはイギリス将校率いる兵士に8月10日カアヒン
にて捕まるまで、近くの家に留まった。彼らはミーチーナ
に連行され、そこからこのレポートの元となった、
取調べが行われたレドゥー防御柵へと移された。

要望:

彼女達誰一人として、ミーチーナで使用された「拡声器」
を聞いたものは居なかったが、何人かは「ラジオ放送」
に付いて兵士達が口に出すのを小耳に挟んでいる。

彼女らは陸軍が彼女らの捕獲の事を知れば、他の
女性達の命が危険に晒されるので、「慰安婦」の
捕獲の事を伝えるチラシ(*6)を使用しないよう
求められた。
They did think it would be a good idea to utilize the fact of their capture in any droppings planned for Korea. (*7)

*6(投降を訴える為にばらまく物と思われる)
*7(理解出来んす)

**************************************

<英語の原文>

UNITED STATES OFFICE OF WAR INFORMATION
Psychological Warfare Team
Attached to U.S.Army Forces India-Burma Theator
APO 689

Japanese Prisoner
of War Interrogation
Report No. 49. Place interrogated : Ledo Stookade
Date Interrogated : Aug. 20 - Sept. 10, 1944
Date of Report : October 1, 1944
By : T/3 Alex Yorichi
Prisoners : 20 Korean Comfort Girls
Date of Capture : August 10, 1944
Date of Arrival : August 15, 1994
at Stookade


PREFACE

This report is based on the information obtained from the interrogation of twenty Korean "comfort girls" and two Japanese civilians captured around the tenth of August, 1944 in the mopping up operations after the fall of Myitkyin a in Burma.

The report shows how the Japanese recruited these Korean "comfort girls", the conditions under which they lived and worked, their relations with and reaction to to the Japanese soldier, and their understanding of the military situation.

A "comfort girl" is nothing more than a prostitute or "professional camp follower" attached to the Japanese Army for the benefit of the soldiers. The word "comfort girl" is peculiar to the Japanese. Other reports show the "comfort girls" have been found wherever it was necessary for the Japanese Army to fight. This report however deals only with the Korean "comfort girls" recruited by the Japanese and attached to their Army in Burma. The Japanese are reported to have shipped some 703 of these girls to Burma in 1942.


RECRUITING;

Early in May of 1942 Japanese agents arrived in Korea for the purpose of enlisting Korean girls for "comfort service" in newly conquered Japanese territories in Southeast Asia. The nature of this "service" was not specified but it was assumed to be work connected with visiting the wounded in hospitals, rolling bandages, and generally making the soldiers happy. The inducement used by these agents was plenty of money, an opportunity to pay off the family debts, easy work, and the prospect of a new life in a new land, Singapore. On the basis of these false representaions many girls enlisted for overseas duty and were rewared with an advance of a few hundred yen.

The majority of the girls were ignorant and uneducated, although a few had been connected with "oldest profession on earth" before. The contract they signed bound them to Army regulations and to war for the "house master " for a period of from six monthes to a year depending on the family debt for which they were advanced ...

Approximatedly 800 of these girls were recruited in this manner and they landed with their Japanese "house master " at Rangoon around August 20th, 1942. They came in groups of from eight to twenty-two. From here they were distributed to various parts of Burma, usually to fair sized towns near Japanese Army camps.
Eventually four of these units reached the Myitkyina. They were, Kyoei, Kinsui, Bakushinro, and Momoya. The Kyoei house was called the "Maruyama Club", but was changed when the girls reached Myitkyina as Col.Maruyama, commander of the garrison at Myitkyina, objected to the similarity to his name.


PERSONALITY;

The interrogations show the average Korean "comfort girl" to be about twenty five years old, uneducated, childish, and selfish. She is not pretty either by Japanese of Caucasian standards. She is inclined to be egotistical and likes to talk about herself. Her attitude in front of strangers is quiet and demure, but she "knows the wiles of a woman." She claims to dislike her "profession" and would rather not talk either about it or her family. Because of the kind treatment she received as a prisoner from American soldiers at Myitkyina and Ledo, she feels that they are more emotional than Japanese soldiers. She is afraid of Chinese and Indian troops.


LIVING AND WORKING CONDITIONS;

In Myitkyina the girls were usually quartered in a large two story house(usually a school building) with a separate room for each girl. There each girl lived, slept, and transacted business. In Myitkina their food was prepared by and purchased from the "house master" as they received no regular ration from the Japanese Army. They lived in near-luxury in Burma in comparison to other places. This was especially true of their second year in Burma. They lived well because their food and material was not heavily rationed and they had plenty of money with which to purchase desired articles. They were able to buy cloth, shoes, cigarettes, and cosmotics to supplement the many gifts given to them by soldiers who had received "comfort bags" from home.

While in Burma they amused themselves by participating in sports events with both officers and men, and attended picnics, entertainments, and social dinners. They had a phono-graph and in the towns they were allowed to go shopping.


PRIOR SYSTEM;

The conditions under which they transacted business were regulated by the Army, and in congested areas regulations were strictly enforced. The Army found it necessary in congested areas to install a system of prices, priorities, and schedules for the various units operating in a particular areas. According to interregations the average system was as follows ;


1. Soldiers 10 AM to 5 PM 1.50 yen 20 to 30 minutes
2. NGOs 5 PM to 9 PM 3.00 yen 30 to 40 minutes
3. Officers 9 PM to 12 PM 5.00 yen 30 to 40 minutes


These were average prices in Central Burma. Officers were allowed to stay overnight for twenty yen. In Myitkyina Col. Maruyama slashed the prices to almost one-half of the average price.


SCHEDULES :

The soldiers often complained about congestion in the houses. In many situasions they were not served and had to leave as the army was very strict about overstaying . In order to overcome this problem the Army set aside certain days for certain units. Usually two men from the unit for the day were stationed at the house to identify soldiers. A roving MP was also on hand to keep order. Following is the schedule used by the "Kyoei" house for the various units of the 18th Division while at Naymyo.

Sunday −18th Div. Hdqs. Staff
Monday − Cavalry
Thuesday −Engineers
Wednesday − Day off and weekly physical exam.
Thursday − Medios
Friday − Mountain artillery
Saturday − Transport

Officers were allowed to come seven nights a week. The girls complained that even with the schedule congestion was so great that they could not care for all guests, thus causing ill feeling among many of the soldiers.

Soldiers would come to the house, pay the price and get tickets of cardboard about two inches square with the prior on the left side and the name of the house on the other side. Each soldier's identity or rank was then established after which he "took his turn in line". The girls were allowed the prerogative of refusing a customer. This was often done if the person were too drunk.


PAY AND LIVING CONDITIONS;

The "house master" received fifty to sixty per cent of the girls' gross earnigs depending on how much of a de bt each girl had incurred when she signed her contract. This moant that in an average month a girl would gross about fifteen hundred yen. She turned over seven hundred and fifty to the "master". Many "masters" made life very difficult for the girls by charging them high prices for food and other articles.

In the latter part of 1943 the Army issued orders that certain girls who had paid their debt could return home. Some of the girls were thus allowed to return to Korea.

The interrogations further show that the health of these gilrs was good. They were well supplied with all types of contraceptives, and often soldiers would bring their own which had been supplied by the army. They were well trained in looking after both themselves and customers in the matter of hycine. A regular Japanese Army doctor visited the houses once a week and any girl found diseased was given treatment, secluded, and eventually sent to a hospital. This same procedure was carried on within the ranks of the Army itself, but it is interesting to note that a soldier did not lose pay during the period he was confined.


REACTIONS TO JAPANESE SOLDIERS;

In their relations with the Japanese officers and men only two names of any consequence came out of interrogations. They were those of Col. Maruyama, commander of the garrison at Myitkyina. and Maj.Gen.Mizukami, who brought in reinforcements. The two were exact opposites. The former was hard, selfish and repulsive with no consideration for his men; the latter a good, kind man and a fine soldier, with the utmost consideration for those who worked under him. The Colonel was a constant habitue of the houses while the General was never known to have visited them. With the fall of Myitkyina, Col. Maruyama supposedly desorted while Gen. Mizukami committed sucide because he could not evacuate the men.


SOLDIERS REACTIONS;

The average Japanese soldier is embarrassed about being seen in a "comfort house" acoording to one of the girls who said, "when the place is packed he is apt to be ashamed if he has to wait in line for his turn". However there were numerous instances of proposals of marriage and in certain cases marriages actually took place.

All the girls agreed that the worst officers and men who came to see them were those who were drunk and leaving for the front the following day. But all likewise agreed that even though very drunk the Japanese soldier never discussed military matters or secrets with them. Though the girls might start the conversation about some military matter the officer or enlisted man would not talk, but would in fact "scold us for discussing such un-lady like subjects. Even Col.Maru yama when drunk would never discuss such matters."

The soldiers would often express how much they enjoyed receiving magazines, letters and newspapers from home. They also mentioned the receipt of "comfort bags" filled with canned goods, magazines, soap, handkerchiefs, toothbrush, miniature doll, lipstick, and wooden clothes. The lipstick and cloths were feminin and the girls couldn't understand why the people at home were sending such articles. They speculated that the sender could only have had themselves or the "native girls".


MILITARY SITUATION;

"In the initial attack on Myitleyna and the airstrip about two hundred Japanese died in battle, leaving about two hundred to defend the town. Ammunition was very low.

"Col.Maruyama dispersed his men. During the following days the enemy were shooting haphazardly everywhere. It was a waste since they didn't seem to aim at any particular thing. The Japanese soldiers on the other hand had orders to fire one shot at a time and only when they were sure of a hit."

Before the enemy attacked on the west airstrip, soldiers stationed around Myitkyina were dispatched elsewhere, to stom the Allied attack in the North and West. About four hundred men were left behind, largely from the 114th Regiment. Evid ently Col.Maruyama did not expect the town to be attacked. Later Maj.Gen.Mizukami of the 56th Division brought in reinfo rcements of more than two regiments but these were unable to hold the town.

It was the concensus among the girls that Allied bombings were intense and frightening and because of them they spent most of their last days in foxholes. One or two even carried on work there. The comfort houses were bombed and several of the girls were wounded and killed.


RETREAT AND CAPTURE;

The story of the retreat and final capture of the "comfort girls" is somewhat vague and confused in their own minds. From various reports it appears that the following occurred: on the night of July 31st a party of sixty three people including the "comfort girls" of three houses(Bakushinro was merged with Kinsui), families, and helpers, started across the Irrawaddy River in small boats. They eventually landed somewhere near Waingmaw, They stayed there until August 4th, but never entered Waingmaw. From there they followed in the path of a group of soldiers until August 7th when there was a skirmish with the enemy and the party split up. The girls were ordered to follow the soldiers after three hour interval. They did this only to find themselves on the bank of a river with no sign of the soldiers or any mea ns of crossing. They remained in a nearby house until August 10th when they were captured by Kaahin soldiers led by an English officer. They were taken to Myitleyina and then to the Ledo stockado where the interrogation which form the basis of this report took place.


REQUESTS;

None of the girls appeared to have heard the loudspeaker used at Myitkyina but very did overhear the soldiers mention a "radio broadcast"
They asked that leaflets telling of the capture of the "comfort girls" should not be used for it would endanger the lives of other girls if the Army knew of their capture. They did think it would be a good idea to utilise the fact of their capture in any droppings planned for Korea.

**************************************
とここまで!

という事で、アメリカはとっくに、自分の国の軍隊が

○「慰安婦」とは、売春婦にすぎない。
○彼女らは贅沢に暮らした
○彼女らは客を拒否する特権を与えられており、個人が
 酷く酔っていた時等、頻繁に行使された。

などなど、きちんと調べあげており、公的に報告書が
このように作成されているんですよ。
日本の内容はここまで具体的ではないが、日本が主張
している事とほぼ同じで、彼女らはどれだけの相当額
の金銭、物品、良い待遇を受け、日本兵はどれだけ
みじめな立場であったか・・。
体調が悪ければ自国へ帰るよう促され、借金のカタで
きた人間は借金が返済し終われば帰国している。
この報告書からもわかる通り、彼女らは日本で言う
「売春婦」であり、いつでも自分の意志で帰国が出来たのだ。

このように、

【日本軍に強制されて性交渉をしていたのではない】

という資料は、この自国の資料以外にも多数あるのに、
下院議員の主張の裏付けは、これまた彼女らの聞き取り
調査だけなのである。
この問題はアメリカにおける自国の調査資料をみても、
すでに終わっているのだ。
もし、今回の下院議員の主張が正しければ、自国の軍
の報告書は間違っていたと主張している事になる。
なら先に、自国の軍の報告書はデタラメでした。
うちの軍はホント信用できない下等なレベルなんですよ!
すいませんでした!と報告しろつうの!
しかし、アメリカの報告書は色々な部分でリアル
だなぁ・・(-.-)ボソッ(笑)

さあ、今回この下院議員【マイケル・ホンダ議員】が、
なぜ今や論破されている【従軍慰安婦問題】を蒸し返すのか?
簡単に言えば、【左翼】として、特定アジアの支持を
得る事により、一部の圧力団体とその支持が欲しいからである。
ただそれだけのために日本が利用されている。
まあ、アメリカのポチであり、すぐに謝罪する国で、
一番扱いやすい国だから、自分がマイケル・ホンダでも
日本を攻撃するだろうなぁ・・(笑)

さあ、この【マイケル・ホンダ】という人物、こいつが
どのような背景を持った人間か?実は、国際的な圧力組織

【シモンヴィーゼンタールセンター(SWC)】
■シモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)の実態■
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc600.html#ex02

という後ろ盾がある。
【SWC】は、一番の政教癒着が激しいくせに、靖国問題で
堂々と政教分離を発言する日本が誇るカルト宗教団体
【創価学会】とも手を結んでいる。
さらに、元々、活動していたナチスドイツの戦争犯罪に
とどまらず、アイリス・チャンの嘘だらけの本

【レイプオブ南京】

を強烈にプッシュしている事でも有名で、それをきっかけに
【従軍慰安婦問題】や【日本軍の戦争犯罪】 にまで口を
出すようになっていった。
この団体のためにも【マイケル・ホンダ】が、こうした
行動を続けなければいけない背景も、我々は理解しない
といけない。
現時点ではこの問題を推進しているのは 【アメリカ政府全体】
ではなく

【「左翼」として、特定アジアの支持を得る事により、
 一部の圧力団体とその支持が欲しい政治家】

が仕組んで行って いるという事である。

日本がやるべき事は、ただひとつ、何度も言うが、

【従軍慰安婦の強制連行の事実などない!あるというのなら
 証拠を出してみろ!】

という事を胸を張って主張すればよい。
そして、ここで【従軍慰安婦問題】などという論破できる
案件に関しては、出る杭は叩き続け、日本には通用しない
という事を見せしめなくてはいけない。
ただ、今の日本政府にそれができるのか?ここだけは
いつも頭が痛いのだが・・( >_<) 

どこもピントはずれである

「1945年3月10日、約10万人の命が失われた東京大空襲の被害者や遺族ら
 1122人(57〜88歳)が、国に1人当たり1100万円(総額約12億
 3200万円)の損害賠償と謝罪を求め9日、東京地裁に提訴した。
 原告団によると、空襲被害者の集団訴訟は初めて。原告は現在、東京、
 大阪、北海道など20都道府県に住み、弁護団は全国30都道府県の110人。
 訴状には、原告全員の被災や戦後の生活実態を1ページずつ盛り込んだ。
 訴状によると、旧軍人・軍属やその遺族は国家補償を受けているが、
 空襲などの民間被害者に補償制度がないことから【法の下の平等に反する】
 と主張。大空襲が、日本軍の中国・重慶爆撃などの先行行為(原因)の
 結果として受けた被害である点からも、国に責任があると指摘している。
 このほか、空襲被害の実態調査や国立の追悼施設建設を求め、首相名での
 謝罪文を官報に載せることも請求している。空襲訴訟をめぐっては
 最高裁が1987年、名古屋市の2女性が国家賠償を求めた訴訟で【戦争は
 非常事態であり、犠牲や損害は国民が等しく受忍しなければならなかった】
 との判断を示し、原告敗訴が確定している。」
続きを読む

出る杭は叩き続けるしかない

「米下院に提出されている、従軍慰安婦問題で日本政府に謝罪を求める
 決議案に、首相官邸が神経をとがらせている。決議案は、日系の
 マイケル・ホンダ議員(民主党)らが下院外交委員会に超党派で
 提出した。日本政府は1993年に【河野談話】で旧日本軍が慰安所
 設置に関与した事などを認めて謝罪し、その後【アジア女性基金】を
 設立して償い事業を進めてきたが、決議案は(1)従軍慰安婦を公式に
 認める(2)首相の謝罪声明を発表する−−などと要求している。
 15日には元慰安婦3人を招いた初の公聴会も開かれた。米下院には
 1996年以降、慰安婦に関する決議案が計8回出され、すべて廃案と
 なっている。相次ぐ提出の背景にはアジア系団体による議会への
 働きかけがあるとされるが、9回目の決議案提出に、在米日本大使館
 は【日本がすでに行ってきた事を改めて要求するなど不適切な内容を
 含む】との声明を出し、決議が採択されないよう議会対策に乗り出した。
 だが、今回は過去の8回とは異なり【決議が通ってしまう可能性がある】
 (首相周辺)との危機感が政府内に広がっている。昨秋の米中間選挙で
 民主党が多数派となり、議会のリベラル色が強まった為だ。採択されても
 法的拘束力はないが、首相の訪米前であり、官邸は敏感にならざるを
 得ないようだ。」

ここに出てくる河野談話とは【従軍慰安婦の性奴隷を公式に認める】談話である。
従軍慰安婦が性奴隷だったというのは、世紀の詐話師

【吉田清治】の著書【私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行】

と言う【嘘だらけ】の本から朝日新聞が先頭に油に火を注いだ。
(ちなみに吉田清治は後にこの話を嘘で固めた作り話である事を認めている)
しかし、結果、日本からご丁寧に【この事について反発しなさいよ!】と韓国、中国に
進言してくれた訳ですから、外交的に待ってましたとばかりに、各国、中国は反発する。
当たり前である。
そして、日本政府はこの問題を【物的証拠もない(ここ重要)】のに数人の老婆の話を
聞いただけで、韓国と【政治的取引】で日本を犯罪国に仕立て上げたというものである。
簡単に言えば、人を殺した証拠がひとつもないのに、それを見たという人の話だけで
殺人犯にされてしまったのと変わらないのだ。と、ここで河野洋平を罵っても仕方ない。(笑)

今回、この【マイケル・ホンダ議員】が、なぜ今や論破されている【従軍慰安婦問題】を蒸し返すのか?
簡単に言えば、【左翼】として、特定アジアの支持を得る事により、一部の圧力団体とその支持が
欲しいからである。ただそれだけのために日本が利用されている。
まあ、アメリカのポチであり、すぐに謝罪する国で、一番扱いやすいから、自分がマイケル・ホンダでも
日本を攻撃するだろうなぁ・・(笑)

さあ、この【マイケル・ホンダ】という人物、こいつがどのような背景を持った人間か?
実は、国際的な圧力組織

【シモンヴィーゼンタールセンター(SWC)】
■シモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)の実態■
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc600.html#ex02

という後ろ盾がある。
【SWC】は、元々、活動していたナチスドイツの戦争犯罪にとどまらず、アイリス・チャンの
嘘だらけの本【レイプオブ南京】 を強烈にプッシュしている事でも有名で、それをきっかけに
【従軍慰安婦問題】や【日本軍の戦争犯罪】にまで口を出すようになっていった。
この団体のためにも【マイケル・ホンダ】が、こうした行動を続けなければいけない背景も、
我々は理解しないといけない。現時点ではこの問題を推進しているのは【アメリカ政府全体】ではなく

【「左翼」として、特定アジアの支持を得る事により、一部の圧力団体とその支持が欲しい政治家】

が仕組んで行っているという事である。

日本がやるべき事は、ただひとつ、

【従軍慰安婦の強制連行の事実などない!あるというのなら証拠を出してみろ!】

という事を胸を張って主張すればよい。
そして、ここで【従軍慰安婦問題】などという論破できる案件に関しては、出る杭は叩き続け、
日本には通用しないという事を見せしめなくてはいけない。
ただ、今の日本政府にそれができるのか?ここだけはいつも頭が痛い・・( >_<) 

マスコミには辟易する

■柳沢厚生労働相の6日の記者会見から■

【ご当人の若い人たちは「結婚をしたい、それから子供を2人以上
 持ちたい」という極めて健全な状況にいるわけだから、本当に
 そういう若者の健全な、なんというか希望というものに我々が
 フィットした政策を出していくことが非常に大事だと思っている。 】

まただ。マスコミが一部分だけを【子供が2人以上「健全」】と見出し
として抜き出して一人歩きさせ【悪質に一方向へ誘導させる】典型的な
手法だ。そこに登場していた民主党の蓮舫議員の

【子供を2人以上持つのが健全で、持ちたいけど持てない人は不健全
 という事になる】

という発言にはビックリである。
こいつ、日本語がわからないのではないだろうか?
そんな事は柳沢大臣は一言も言っていない。

■結婚と出産に関する全国調査(2005年)■
○【いずれ結婚するつもり】結婚の意思を持つ未婚者 約90%
○希望の子供の数【2人以上】の未婚者       約85%

という統計から

【若者は結婚をしたくなくなった訳でもなく、2人以上子供を
 産みたいという希望を持っている】

という事を言いたいのだろうという事は、小学生レベルの国語の力が
あればハッキリとわかる。前回の

■前回の柳沢厚生労働相発言■

【では、人口の状況はどうか。平成17年の国税調査を受けて、18年に
 年金の人口推計をやるわけです。(中略)特に、2030年に例えは
 30歳になる人を考えると、今、7、8歳になってなきゃいけない。
 生まれちゃってるんですよ。もう。あとは「産む機械」って言っちゃ
 なんだけど、装置の数が決まったってことになると、機械って
 言っちゃ申し訳ないんだけど、機械って言ってごめんなさいね、
 あとは産む役目の人が1人頭で頑張ってもらうしかない。2030年は
 もう勝負は決まっているとよく役人に言われる。】

というのも、個人的には擁護するとかしないのレベルでなく、柳沢大臣
の発言は流れから汲み取ると、そんなに失礼だとは感じない。
ただ「機械」に例えなくても良かったが・・。
【もう女性の数は決まっているから】レベルで充分に伝わっていた
だろう・・確かに、この年代は【女はとっと結婚して子供を産め!】
【女は子宮でものを考える】みたいな、セクハラ発言バリバリ時代の
人間ですから、この例え方をみると、心の奥底にはそんな時代レベル
の基礎があるようには感じてしまうね。
でも【産む役目の人が1人頭で頑張ってもらうしかない】というのも、
実際その通りだもんね。ただ

【それを大きくサポートするのが私の役目!】

くらいの事は言って欲しかったね。
それよりも、きちんと

〜 予・算・を・審・議・し・て・く・れ 〜

しかし、マスコミも、コメンテーターも、みんなで

【その原因をきちんと把握して、産みたい人が産めるような
 対策を打ち出す事が必要だ】

と言う。悪いが、昔はもっと劣悪な環境時でありながら、対策など
考えなくても、子供をたくさん産んでいた。生まれなかったら、
姑にどれだけ皮肉を言われ、いじめられたか・・(笑) 
そんな時でもたくさん出産をしたのだ。
だから【環境の問題】ではない!と言いたい所だが、やはり
【環境の問題】なのだ。今と昔では

【環境の価値観】

が変わってしまった。まず、女性が外に出るようになった。
いや、出ないと生きていけない【男性1人では役に立たない環境】に
なった。
さらに、夫婦が他人の手をうざったいので借りなくなったのと同時に、
何かあった時の責任の問い方がアメリカのようなえげつなさが出てきた
ので、責任問題を考えると、他人が簡単に手伝う訳にもいかなくなった。
ますます夫婦が【孤立する環境】になった。
将来、自分たちが生きてゆくだけでも大変なのに、子供1人に生涯、
全て公立で進んでくれても約3000万円かかるという試算を目の前に
すると、やはり1人まで・・という【将来が不安な環境】。
昔は、ボロボロの服を着ていてもよかったが、今はそういう訳には
いかない。さらに昔と違って、自分自身のゆとりが欲しい、物が欲しい、
と色々な事に【贅沢な環境】になってしまった。
裏を返せば、【いくらお金があっても足りないという環境】になって
しまった。

そして、みんな【疑問の投げかけ】はするが、必ずどいつも【出生率
が上がる具体策】は提案できない。だがマスコミを中心に、できあがった
ものへの【言葉尻】や【穴】を探し、そこを徹底的にののしる事は
得意だ・・。裏を返せば、みんな気付いているのだ。
出生率を上げる理想的なアイデアは【この世に存在しない】事を・・。
手当を出すにしても、年間100万円位くるなら別だが、仮に10万円が
年間にきても無理で10万円につられて子供産むとは思えない。
逆に年間100万円位出るようになったら、スウェーデンのように賃金の
半分が税金と社会保険料という働くのがイヤになるような環境になって
しまう。
会社に保育所を義務付けにするのも良さそうだが、大きな会社と小さな
会社の差別、小さな会社へのが大きな負担が生まれ格差ができてしまう・・。
2年くらいの長い子育て休暇を作るのも良さそうだが、経営する側に
してみれば、余裕のある会社はできるにしても、余裕のない会社には
できない。しかも、2年間だけが子育てではないなどという、出来たら
出来たでさらに甘えた事を言い始める事にもなりかねない。
独身者や子供の作らない夫婦は、今後、今の子供達に支えて貰う
のだから社会保険料が子供のいる家庭よりも数十倍高くするというのも
良いと思うのだが、恐らく、子供を産みたくても産めない夫婦の気持ち
も考えろ!不妊治療で家計も痛めつける上にさらに取るのか!
ふざけるな!となる・・。
本当は職場にサラリーマン金太郎じゃないが、子供を背負って働ける
環境ができるのが一番自然な気がするが、1人2人ならともかく、
10人とかになったらうるさいだろうなぁ・・w 
そんな事が許せる社会にならないといけないが、今は、逆にギスギス
してゆくだけ。やはり人々の生活にそれだけのゆとりが無いからなのだろう・・。

そんな事を考えると、自分も、今、この時代に子供に【生】を与えた
事が正しかったのか?時々、考えてしまう事がある。
そんな中でも、ただひとつハッキリしている事は、自分たち親には
たまらない【贈り物】であった事だけは間違いない・・。

【違った格差】が広がる政策は大迷惑 

「政府は2007年度から、【家族の日】を制定する方針を決めた。続きを読む

裁判員制度

2009年春に始まる【裁判員制度】に向け、法務省は10月24日、裁判員に
選ばれた人がどのような場合に辞退できるか定めた政令案を公表した。
続きを読む

口を出す立場にない

「米下院外交委員会は14日、日本と近隣諸国との緊張関係をテーマに
 公聴会を開いた。この中でハイド委員長(共和)は、靖国神社に
 併設されている戦史展示館「遊就館」について、「ここで教えられて
 いる歴史は事実に基づいておらず、訂正されるべきだ」と主張した。
 また、出席議員や参考人からは小泉純一郎首相の靖国参拝への批判
 が相次いだ。[時事通信社]」

とな・・。これは、

<ラントス米民主党下院議員>
「A級戦犯の位牌に参拝することは道徳的堕落であり(訳注:原発言は
  "Paying one's respects to war criminals is morally bankrupt")、
 日本のような大国のすべき行動ではない。中止せねばならない。」

<ハイド米下院国際関係委員長>
「東京の博物館は日本の若い世代に、日本がアジアの人々を解放する
 ため第二次大戦を起こしたと教 えている。」

を抜き取ったものであるが、時事通信社の中韓の反発だけでは世論が
動かないので、じゃ、アメリカ様を使おう!という事がみえみえ!
こうして、一部を抜き出して誇張した歪曲報道の時事通信社の記事に
まともに書くのもバカバカしいのだが、それにあえて書きたいと思う。

アメリカは悪いが、この事に口を出す立場にない。
口を出せるとしたら、原爆投下による民間人の大虐殺を 東京大空襲の
民間人の大虐殺を謝罪し、原爆投下は 間違っていなかったとする
自国の歴史を、まず訂正してからだ。
まったく、まだこの下院議員は自分たちが全て正しいと思っているのか?
そして、時事通信社!たった二人のしかも、下院議員の発言を、

「批判相次ぐ」

とまるで、アメリカ議会全体が言っているかのようなかなり恣意的な報道。
もう!こういう日本を世論を操作しようとする報道はやめなさいって!
こんな報道をする前に、なぜ、原爆投下と東京大空襲を使ってアメリカに
強気に立ち向かえないんだ?だから日本のマスコミはダメなんだって!

民主・小沢代表が基本政策案

「民主党の小沢代表が9月12日告示の代表選で示す基本政策案が24日、
 明らかになった。「日本にふさわしいセーフティーネット(安全網)
 を確立する」として、雇用政策や農政を重点政策に据えた。
 税制では、所得税・住民税を現行の半分に引き下げる大規模減税や、
 消費税の福祉目的税化を提唱した。外交面では、国連の要請に基づき、
 国連の平和活動に積極的に参加すると強調した。」
続きを読む

さあ、韓国が正体を現した!

「韓国の通信社・聯合ニュースは8月16日、同国政府が靖国神社問題と関連して、A級戦犯が分祀(ぶんし)された場合も、日本の指導者の靖国参拝を容認できず、靖国問題の根本的な解決にはならないとする立場を内部で確認したと報じた。青瓦台(大統領官邸)高官の話として伝えた。同高官は【靖国問題はA級戦犯分祀で解決できない】と述べ、その理由として戦史展示館【遊就館】など、過去の軍国主義を美化し、侵略戦争を正当化する靖国神社の歴史観に変わりがないためだと話した。」 

さあ、韓国が正体を現した!以前から、小泉首相や麻生外相
の言う

「A級戦犯を分祀したところで何の解決にもならず、それで
 外交関係が改善するとは思えない」

という言葉を裏付けた。同時に、これまでの韓国側の主張が

「ただの内政干渉である」

ということを国家として認めた事になる。
元々、自国民をまとめるための「反日」ですから、最初から
わかっていた事だが、きちんと韓国が国として認めた事は
大きい。

さあ、今後は日本は靖国に何か言ってきたら、即座に
韓国大使館員を呼びつけ、徹底的に、

「内政干渉だ!」

と、この問題は政治カードにできない事を毅然と抗議すべきである。
そして、他国の追悼に文句を言っているのは 世界中探しても

「中国と韓国だけ」

という事を、我々もハッキリ自覚しておきたい。

加藤紘一氏の実家全焼事件

「8月15日午後5時55分ごろ、山形県鶴岡市大東町、自民党の元幹事長加藤紘一氏(67)の実家から出火、木造2階建ての住宅と隣接する加藤氏の事務所計約340平方メートルが全焼した。現場には、男が腹部を切って倒れていた。鶴岡署はこの男が放火した後、割腹自殺を図ったとみて調べている。男は顔や口の中などにやけども負い、意識がない状態だといい、同署は回復を待って事情を聴く方針」

犯人は、右翼団体の一人との報道ですね。まだ確定は
していませんが・・。
この件に関して社説を展開したのは朝日と産経の2社。

「自分が気に入らないからといって、暴力に訴える。
 そんな卑劣な行為は断じて許すことができない。」(朝日)
「いずれも卑劣な言論封じのテロだ。いかなる理由が
 あるにせよ、民主主義社会でテロは絶対に許されない。」(産経)

確かにその通りだ。確かにその通りだが、これは「大国」と
「大国を憎むテロリスト」の関係と似ていないだろうか?
「大国」は自分中心で思い通りに「正義」の名の下に「戦争」
を仕掛ける・・そして、空爆で巻き添えで民間人を殺す。
「テロリスト」も自分中心で思い通りに「正義」の名の下に
「テロ」を仕掛ける・・もちろん、テロも民間人を殺す。
近代兵器を持つ「大国」に微弱な兵器しかない「テロリスト」
は空爆はできない・・。
となると「テロ」しか「大国」と戦う方法はないという側面を
持つ・・。アメリカの同時多発テロなどその典型的な例だろう。
今回、靖国参拝に関して、マスコミは「靖国参拝反対・
A級戦犯分祀・国立追悼施設推進派」の加藤紘一氏を
前面に出し、

「靖国参拝撲滅、A級戦犯分祀」

の一方向性のみの報道を繰り返した。これはマスコミ
という「大国」の一方的な「靖国参拝賛成」の言論封じの
「言論の暴力」とは考えられないだろうか?
となると、平等にマスコミで取り上げてもらう手段を
持たない立場の人間の言論は抹殺されていないだろうか?
加藤紘一氏は、天皇責任も含めて発言していましたから、
右翼系のターゲットになっていたという事は当然考えられる・・。

でも、この事件の最大なる原因はマスコミの「靖国参拝
賛成」側の報道を一切せず、加藤紘一氏一方向の
「靖国参拝反対」の報道かもしれないと思うのです。
そして、これを防ぐにはマスコミの常套手段の

「世論を操作すべく作為的な一方向報道」

をマスコミがやめ、平等な立場で報道するしか防ぐ方法は
ないのです。

小泉首相・靖国神社参拝

8月15日は小泉首相がきっちり参拝参拝した。
個人的には「よくぞ!やってくれた!」と評価したい。
テレビをつければ、4〜5日前からマスコミが
批判の嵐と加藤紘一氏&山崎拓氏ばかりが
画面に出まくっていて「A級戦犯、戦争責任」と
非常に腹ただしい・・。

日本では、すでに昭和28年に制定された
「遺族援護法」で、

「東京裁判においてのA級戦犯は元よりB級、
 C級戦犯と有罪とされた人を罪人とみなさない」

という事が全会一致で国会で議決され、明確に
示され、名誉回復がなされている。
マスコミに陽動され間違えてはいけないのが、
どこをどうみても日本には

「A級戦犯もB級、C級戦犯も存在しない」

のだ。さらに言うならば、その不当な東京裁判に
おいて、責任を取らなかったならともかく、
A級戦犯を始め、B級、C級戦犯・計1068人の
命を差し出し処刑をされた。
第二次世界大戦後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、
湾岸戦争など数々の戦争において、敗戦国が
戦勝国に命を差し出し処刑をされた事など無い。
日本だけがそこまでの戦争責任を負わされた。
それでもマスコミは、加藤紘一氏&山崎拓氏は

「日本は戦争責任を果たしていない」
「A級戦犯が個人の罪を償っても日本の
 戦争責任は消えない」

とほざく・・。
自分がやったとする事で天皇を守ったのは
彼等なのに・・。

「自分が関係のない戦争だしぃ、死んじゃって
 いる奴らの事だしぃ、何でも言えちゃうよ!
 今は自民党で隅っこの方へ押しやられちゃった
 僕が表舞台に立てる唯一の機会なんだから!」
 
とでも言いたげに今のマスコミが「喜んで
流したくなる姿」を繰り返す・・。
日本には

「死を持って人を憎まず」
「死ねば仏」
「水に流す」

など、美しい寛容な考え方がある。
中国などは1000年も昔の売国奴、秦檜(しんかい)
の妻と共に頭を垂れている像に、未だにツバを
吐きかけ、子々孫々にまで妬み尽くし責任を
問い続ける文化がある。
その中国文化を中国は日本に押し付けてくるが、
内政干渉甚だしく、日本が合わせる必要など
一切無い・・。
靖国参拝はもう日本へは通用しないカードと
しなければ、いつまで謝り続け、お金を奪われる
国に成り下がるだけですから・・。
そして、今の価値観で裁いてはいけない・・。

もったいない・・

「任期満了に伴う長野県知事選は6日投開票され、無所属新人で前自民党衆院議員の村井仁氏(69)が、無所属の現職で3選を目指した田中康夫氏(50)を約7万8000票差で破り、初当選した。」

難しいね・・。
バリバリ保守の改革というのは・・。
村井氏 61万2725票 田中氏 53万4229票 と
約7万8000票差なのだから文句は言えない結果
だが、個人的には長野県民の判断は、

「もったいない・・」

有力支持者の講演会脱退、県議会の村井氏支持
という組織選挙に、県民からの結果がでないという事
&無党派層の支持離れ、そこへ岡谷の災害が起こった
事、さらにその災害の対策に追われ、公示日から
10日後にやっと選挙活動ができた、村井氏が
2001年第一次小泉内閣で国家公安員会・防災担当
大臣をやっていたので災害に希望を見込まれたなど
色々な要因が一気に重なった事による敗北という事
らしいが、

「常に県民からチェックされている知事でありたい、
 未来の子供達に、借金の山やダムのコンクリートの
 残骸を残さない県、緑を残し福祉や教育という人が
 人らしく生きる事を推進していこう」

と40年にわたり赤字を出し続けた長野県政を6年連続
で黒字を計上、昨年は42億円の黒字とな・・。
メインの「脱ダム」の方向性も、新潟などは、その
「ダム路線」をやめ、「遊水池」の方向性を打ち出し、
それでも危険とされる区域の住民にはお金を出し、
別な所へ転居する事を進めている。

こうして先に新潟をはじめ動き出している「脱ダム」路線
は決して間違っていない。村井氏はダムを作るらしい。
あんな岡谷の洪水のような雨が降ったらダムなんて
決壊を防ぐために、結局は放流するしかない。

許容量を超えた場合は、洪水が起こるのは一緒なので
ある。さらに田中氏は、

「政治家への見返りの社会から、志の社会へ。
 そうしないと借金は消えない」

本当にその通りだ。しかし、

「理念は良いが、手法(県議会と対立など話し合いが
 できていない)が悪い」

と有力支持者が去ってゆく。
41年間は条例や予算は1回も否決されずに、すんなり
通っている。赤字になってもお構いなしの各方向に
見返りが期待できる予算と条例だった訳ですから
当たり前だ。
自分がやめた後の赤字など、自分が死んだ後の
子供達の苦しみなど、知ったこっちゃないですからね(笑)
それが、田中氏が知事になり、県議会議員の
自分たちへの見返りが消えてしまう予算と条例に
なった途端、この6年は否決ばかり・・。
未来の子供達の事を考えているのではなく、
まだまだ今の自分の事ばかりを考えている
県議会議員が多い証拠であろう。

田中氏のやってきた事が理解されるのは10年後、
20年後の今の子供達が大きくなった時だ。
いずれにしても、選出はされてしまった。

さあ、長野県民の村井氏の選択は
「吉」と出るか?「凶」と出るか?
「もったいない」を覆して欲しいものだ。

週刊新潮!キタ━(゜∀゜)━!

ファイル 730-2.jpg

ここ「きょうのひとこと」の7月31日「メモの一番下にカギがある」
と7月21日「富田メモ」で書いた通り、今週の8月3日発売の
「週刊新潮」が

「昭和天皇・富田メモは世紀の大誤報か?〜徳川侍従長の
 発言とそっくりだった!」

とトップの扱い!そりゃそうだ。メモの一番下に「関連質問」と
ある事だけでも徳川氏の会見のメモである事は濃厚だ。

それプラス、徳川氏の当時の会見時の内容とソックリ
なんですから、日本経済新聞はきっちり証拠を出して、
どこをどう精査して

「昭和天皇が不快感」

だったのか?反論しないと、いけないでしょう!(゚-゚)b
悪いがしっかりとした資料を出し、反論しないと

「意図的大誤報」

という国民を意図的に陥れた極悪新聞社として、
日本経済新聞つぶれますよん!
個人的には、本当に資料があるのならば、この記事に
合わせて紙面で反論を展開する事ができたはず。
だって、こうなる事は予想できたはずですからね。
でも、やれていないという事は、そんな資料はなく、
あの富田メモひとつで、その見出しをつけた線が
濃厚とみている。さあ、どうする日本経済新聞!

せめて遺族くらいは正しい判断を・・

「日本遺族会(会長、古賀誠・自民党元幹事長)は7月2日、靖国神社に
 祭られているA級戦犯の分祀(ぶんし)の是非について、検討会を
 設置する方針を固めた。同日午後の正副会長会議で古賀氏が提案し、
 副会長らも応じる見通しだ。靖国神社は「分祀はできない」として
 いるが、最大の支援組織である遺族会で分祀の検討が始まれば、対応
 を迫られることは必至だ。古賀氏は5月末、遺族会の役員会でも分祀
 検討の必要性を提起したが、その時は突然だったこともあり、幹部
 たちから戸惑いと反発の声が多かったという。しかし、その後、
 昭和天皇がA級戦犯合祀に「不快感」を示していた元側近のメモが
 発見されたことで、会内にも動揺が広がり、幹部の間で「BC級戦犯
 の分祀にまで及ばないのであれば、A級戦犯の分祀については話し合う
 ことも必要ではないか」との意見が増えているという。」

遺族会会長の古賀氏は、靖国神社の総代を7/4に辞任し、
中国へ渡り、中国共産党幹部との会談、さらに中国共産党
の反日感情を自国民に植え付けるため嘘の情報を流し、
日本を陥れるために作られたプロパガンダ施設
「南京大虐殺記念館」を訪れ、献花をしているだけでなく、

「(過去を忘れず未来を大事にするという) 中国側の
 姿勢に心の豊かさを感じた」

と発言、この古賀氏の変貌ぶり、強気な発言の裏側
には、きっと中国共産党から

「A級戦犯の分祀すれば、BC級戦犯の分祀にまで
 文句はいわない」

という約束を交わしているのだと思われる。
そして、まるで徳川氏の会見のメモ(最後に 関連質問
とある)っぽいモノを「天皇メモ」として 日経に流し、
今の所、 古賀氏の思惑通りといった所だろう・・。

帰国後、そのメモに対し、

「大御心 (おおみこころ)に胸を打たれた。私だけでなく
 遺族の気持ち だと思う。(メモが偽物という)とんでもない
 議論があるのは 許せない」

と述べるという中国にシナリオを渡されたかのような
完全に「中国の犬」と化してしまいました。

なぜこんな人物が 遺族会の会長なのか?

疑問を通り超え、遺族会を不憫にさえ 思うのです・・。
しかし、ABCは罪の重さの違いではない事は今や
あたりまえなのに、 未だにAを一番悪者にする
世論操作は一体なんなんだ?
自分たちで首を絞め合うのでなく、遺族くらいは
冷静に正しい判断をして欲しい・・。

メモの一番下にカギがある

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「自民党の古賀誠元幹事長(日本遺族会会長)は
 30日午前、テレビ朝日の番組に出演し、昭和天皇が
 A級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示したとされるメモ
 の信ぴょう性を疑う意見があることについて、
 <とんでもない議論があるのは残念。昭和天皇や
 英霊に対してもそういう議論は許せない>と厳しく
 批判した。」

あのメモは徳川義寛氏が過去に発言した内容と
同じだからね・・。
だから信ぴょう性が疑われている訳で・・。
さらに、あのメモの一番下には「関連質問」と
書かれている。(赤丸部分)となると、徳川義寛氏の
記者会見のメモである事が濃厚なのだ。
昭和天皇の言葉を書き留めただけなら「関連質問」
などある訳がない。
メモの信ぴょう性を疑う意見が出て当然なのだ。
もし、徳川義寛氏の記者会見のメモであったのなら、

「日本経済新聞の世紀の大誤報」

ですからね。そもそも古賀氏から日本経済新聞
への発信という疑いもある訳ですから、古賀氏が
それを「とんでもない論議」と斬り捨てるならば、
それを「とんでもない論議」だと証明するべく、
日本経済新聞に、あの手帳や日記を隠すのではなく、
誰もが検証できるようにように堂々と発表する圧力を
かけて下さいよ。

また、そんな圧力がなくても、これだけの世論影響
があった訳ですから、日本経済新聞は

「A級戦犯に不快感」

とまでハッキリと書いたからには、あのメモの他に
「不快感があった」という資料があり裏付け取れて
いるはず・・。
まさか、あのメモだけでその見出しにしたのだと
したならば、とんでもない事ですからね・・。

となれば、その見出しをハッキリ書けるだけの資料
を出す義務がある。という事は、あの手帳や日記、
メモ類を誰もが検証できるようにようにするしか、
納得できる事はない。日本経済新聞はただちに
資料を開示せよ!!

富田メモ

ファイル 718-2.jpg

*********************
「 ■富田朝彦氏メモ靖国部分の全文■
 <私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っているだから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ(原文のまま)>
と、富田朝彦・元宮内庁長官が残していた靖国神社A級戦犯合祀(ごうし)への昭和天皇の不快感。さらに、合祀した靖国神社宮司へ「親の心子知らず」と批判を投げかけた。昭和天皇が亡くなる1年前に記されたメモには強い意思が示され、遺族らは戸惑い、昭和史研究者は驚きを隠さない。A級戦犯分祀論や、小泉純一郎首相の参拝問題にどのような影響を与えるのか。 」
*********************
と、日本経済新聞によりスクープの様相で日本中に流れた。
反小泉、反靖国参拝で偏向報道するとこうなる典型的な
報道だ・・。
ツッコミどころはたくさんあるが、まず始めに、勘違いしては
いけないのが、メモは

「宮内庁長官であった富田朝彦氏が書いた」

とされているものであって

「昭和天皇自らが記したもの」

ではない。
決して直筆ではないのだ。これを間違えている人が多い。
さらに、文中の「私」が誰であるかわからないんですが?
そしてそれが、昭和天皇を指すという証拠がない。
また百歩譲って、仮に昭和天皇の残した本当の言葉
だとしよう・・昭和天皇は今までに「公」ではそのような
発言は一切していないにもかかわらず、故人の意思で
これを公表せよ!とされていたものなのか?
さらに、仮に公表せよ!と望んでいたとして、内々の話を
このような形で、

「外交・政治・世論操作」

に使われることを望んでいたのか?
しかも、なぜこの時期に?日本経済新聞から?
どう考えても、首相の靖国参拝を辞めさせたい力の所
から意図的である事がみえみえである・・。
そして昨日、中国外務省は、

「われわれの中日関係発展に対する態度は明確かつ
 一貫しており、中日関係発展にとっての障害が
 早期に除去されることを希望する」

とのコメントを出してきた。もう政治的世論操作の
思惑通りだ・・。
まあ、実際にはメモの内容自体は、侍従長(天皇に
側近奉仕する文官)であった徳川義寛氏が過去に
発言した事のある内容なので、特に目新しいもの
ではない・・。

ただ、その時も、徳川氏はいわゆる「A級戦犯合祀
はおかしい」と自分の言葉として言ったのであって、
昭和天皇の言葉であったと発言した訳ではなかった。
メモ貼りだらけの手帳らしいが、ぜひ他のページも
公表をして頂きたい。

靖国の部分だけ、私が誰かわからない、本当の
発言かもわからないメモを外交・政治・世論操作
のために一人歩きさせるのはやめてほしい。

横浜市・朝鮮総連の税減免を取りやめ

「横浜市の中田宏市長は7月12日の定例記者会見で、北朝鮮の
 弾道ミサイル発射に伴い、市内にある在日本朝鮮人総連合会
 (朝鮮総連)の全10施設に対する今年度の固定資産税などの
 減免措置を取りやめることを明らかにした。ミサイル発射後に
 減免措置の取りやめを決めたのは、全国で同市が初めてという」

すばらしい!中田市長。
そもそも拉致が発覚した時点で、朝鮮総連などの減税措置など
やめるべきだった。 減税すれば浮いた分、貧しい国民に食料を
供給したりするならともかく、北朝鮮はミサイルとか核爆弾を
作る金にされちゃいますからそもそも、減税などする必要もない。
キッチリとるべし!
さらに、在日朝鮮人が本名と通名を使いわけて口座を2つ作り、
堂々とやっている脱税にも徹底的にメスを入れてガンガン
やってくれ!>中田市長!

やはりそうなったか・・

北朝鮮のミサイル発射において、中国・ロシアが日本の
強硬な制裁に難色を示し、反対の立場取っている。
ここで制裁を受けず、中国・ロシアが反対し、議長声明
になる動きが出てきた以上、必ず出てくるであろう、

「ミサイル練習」

という言い訳においての軍備強化。
着々と、核武装、ミサイル武装を強化しているインドで、
7月9日に

「長距離弾道ミサイル<アグニ3>発射実験」

を行った。そりゃ撃つだろう。だって「ミサイル練習」
と言えば、なんと7発もガンガン撃っても国連が制裁
するにも、ひとつにまとまらないという異常な事態な訳で

「やったもん勝ち!」

という事。そして、本気でミサイルを撃てば、逆に、

「こういうミサイルを持って発射する事もできるよ!」

と世界へのアピールにもなり、自国を攻めようとして
いる国があっても

「抑止力」

にもなる。さらに、核兵器を作れば、

「それを撃ちません」

と言っただけで、近隣各国が譲歩して支援を約束してくれる。
これじゃぁ、どこも核兵器もミサイルも 作るよね。
まあ、北朝鮮よりも、アメリカが自分たちは 核兵器も
ミサイルも放棄しないのに、他国へは放棄を要請する
態度が 一番気に入らないけど・・(笑)