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子供が教員採用試験官

今日はひなまつり!ひなまつりという事で、ちょこっと子供に
関連した話を・・。
埼玉県の行田市の教員採用試験に、子供の試験官を採用との事・・。
ありゃりゃ・・頭の良い人達が考える事って、どっかズレてるよね。
一体、子供に何を判断させるのだろう??
子供に好かれる先生が良い先生なのか?>そうではないだろう?
では、どんな先生が良い先生なのだろう??
話はわたしの小学5年〜6年の話になるが、当時の担任は奥●先生
というハゲちょびんな先生だった。
しかし、厳しい先生で、ムダ話をしていりゃ、チョーク、履き物、
黒板消しなどあらゆるものが飛んできた(笑)
算数の巨大定規でぶたれる事も・・・(^-^; 
でも、この時代は当たり前だったし、親に言いつけるなんて
恥ずかしかった。しかも、毎日、算数と国語の宿題が出るのだ。
算数はともかく、国語はすごい・・・。
芥川龍之介、太宰治、森鴎外などなど、あらゆる文学物が先生の
手によって書き写され、それを読み、問題に答え、簡単な感想文
を書き、難しい漢字を十個程選び出し練習し、難しい言葉を、
これまた十個程選び出し辞書で調べて意味を書くのだ。
これがほとんど毎日宿題として出るのだった・・・(^-^;
当時はすごくイヤで、宿題の出ない隣のクラスがうらやまし
かったが、今思うと、普通じゃできない事ですよね。
当時はガリガリの鉄ペンでひっかいて書いたものを輪転機
みたいので印刷する時代ですから、パソコンのように前に
作った物を再び使う事なんてできません・・となると、自分の
生徒のためを思って毎日、文学物を書き写す訳です・・。
考えただけでも、頭が下がります・・。
文学物を読む事、辞書を引くという事、漢字を練習するという事、
短い感想文を書くという事、長文問題を解くという事・・国語の
教育の全てが詰まっていた素晴らしい宿題だったのです・・。
こうした当時の自分と照らし合わせてみても、 子供の時は結構
イヤだった先生でも、大人になると感謝していたりする。
この子供の時と大人になった時の価値観の差は永遠に埋まらない
ものだと思うのです。
そこから考えると、子供の手によって、先生が裁かれる程、
子供は先生をわかっちゃいない訳です。
やはり、熱い人、いや、子供の事が大好きな人が先生になるべき
で、そろそろ学業一辺倒でお決まりの面接方法をうまくすり
抜ける事ができるだけの人をチョイスする選択方法は変わらな
ければいけないと思うのです・・。
でも、それを子供の手にゆだねるというのはいかがなものか?