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考え方は決して間違っていない

【臓器移植法】から12年・・。
臓器移植法改正が、6月18日、衆議院で【A案】が可決、
7月13日午後、参議院でも【A案】が可決、成立した。
やっと・・やっと国際社会と肩を並べるレベルになってきた・・
という感じだ。
すでに、海外では【闇の子供たち】ではないが、自国の子供は
法律で守って、他の国の臓器は金と引き替えに提供してもらう
という日本の姿に世界からの矛盾の指摘を正常化する一歩を
踏み出したと言える・・。

個人的には【改正臓器移植法案】は成立した【A案】支持である。
そして、【A案】は世界保健機関(WHO)の指針や主要各国の
臓器移植法とほぼ同じものである。

【脳死】について、

【もっと時間をかけて話し合うべきだ!】
【審議し尽くされていない!】

などと反対派からは意見が飛んでいたが、こうした

【死生観】

は、いくら審議しても、平行線になるのは目に見えているのと、
そもそも【脳死】についてなんて、もう20年も前から論議されて
いて答えが出ないんだから、自分はもうそんな部分には論議は
いらないと思っている・・ひとまず世界標準の線引きでいい・・。
万人が納得する法などこの世には存在しないからね・・。
もちろん、この改正法においては賛成、反対、どちらの立場に
なったとしても、はずれた方の患者が犠牲になるという構造は
同じである・・となると、法という観点からみれば、より多くの
人が幸せになれるのはどちらか?の判断での結論で良いと思っている。
認めない方向で救える多くの命を【法の壁】ということだけで
絶望に叩き落とすのではなく、【脳死】を認めれば、それを
受け入れてくれる人達の意志を尊重し、救える命が出てくる。

テレビでも脳死の家族を看病している方のコメントが流れていた。

【人の死生観は法律で決めるものではない】

と言うが、だからそこは違うって!
脳死を死と認めたくなければ、拒絶はできるのだ。
しかも、本人の拒否がわからなくとも家族でも拒絶出来るのだ。
この部分においては一応の線を引いただけであり、押しつけて
強制する訳ではない・・。

【脳死を死と判断する事になれば、脳死と判断された人には、
 保険は適用されず、診療行為は行われないようになる】
【脳死を認めざるを得ない方向性になりかねず、拒絶できない
 風潮になる恐れがある】

ここも施行まで1年あるのですから、問題があるのならば、
これからきちんと煮詰めていけばいい・・。
もちろん、前回のブログに書いたのではないが、17法案が蔑ろに
されているように、政治状況によっては、そうした詳細の部分が
今後蔑ろにならない可能性がない訳ではありませんがね・・(^-^;

実際、自分自身は、臓器は動いているけど【脳死】だ!という事で
生きたいとは思わない・・。
でも、自分はいいんだよね・・実際のところ・・(笑)
自分の愛する人がその状態なら臓器を取り出した瞬間に【完全に死ぬ】
という事を受け止められるか?というところがネックなんだよね。
こればかりはやはり価値観や思い入れでの判断、その場の心境で決まる。
でも、テレビで出てくる【脳死】の子供達・・誤解を恐れずに
言うならば、命の尊さだとかいうきれい事はひとまずこちらに
置いておいて、親の立場でなく、【脳死】の子供自身の立場なら
自発呼吸ができない、脳で理解も出来ない状態で、本当に心から
【生きたい】と思っているのだろうか?を問うた時、

【そんなの子供自身にしかわからない!】

というのが本当のところだろう・・でもそれが【脳死】の状態では
本人は判断できない、考える事すらできないという事を考えてみても、

【脳死=人の死】

というのは個人的には妥当な判断だと思う。
医療が移植できない技術の時代ならともかく、今やそれで
多々の命が救われるのならば、やはりそちらを優先する・・という
考え方は決して間違っていない・・。
さらに、もっと広い視野で考えるならば、今までの海外での心臓移植
の手術に何千万円という金を集めて渡航する・・。
それで救えるひとつの命・・でもそれだけのお金があれば、世界で
何千万人、いや何億人もの命が救えるかもしれない・・。
そんな事を考えると【臓器移植法】そのものも罪な法律なのかも
しれないとも思ってしまうのです・・。