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原爆投下から70年となる「原爆の日」を迎える

表題通り、原爆投下から70年となる
「原爆の日」を迎えた・・。
とはいえ、毎年同じ事の繰り返し
なのだが、やはり周りを見渡しても、
お客様とふと原爆や、核について
話をしても、実は広島と長崎に
落とされた原爆は種類が違う事や、
ノーベル平和賞をとったオバマ
大統領の【プラハ演説】も、実は
核兵器をゼロにしてゆく演説では
ない
事を知らない方が多々いて、
ここ数日は、そんな事を店で、相も
変わらず説明していたりします(笑)

先日、8月6日は1945年8月6日・
午前8時15分に

アメリカの原子(核)爆弾

【リトルボーイ(ウラニウム型)】
(くわしくはこちら!)

が広島に投下され、高度約600m
(580mと言われている)の上空で
爆発した日・・。
そして、本日は長崎の【原爆の日】・・
1945年8月9日・・午前11時2分、
アメリカの原子(核)爆弾

【ファットマン(プルトニウム型)】

が長崎に投下された日。
実はこの【ファットマン】、広島に
投下された【リトルボーイ】の1.5倍
の威力のものである事は結構知られて
いない・・。

きっと【原爆=広島】のイメージが
強いのと、爆心地から3kmと長崎の
中心地が離れていたため、広島の方
が被害が大きかったのとで、なかなか
広島よりも威力があったと伝わらない
のだと思う・・。

いわゆる【キノコ雲】として出てくる
のも、実は長崎の方の原爆の写真で
ある・・。

ファイル 2477-2.jpg

そんな中、
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広島原爆の日:平和への祈り、川面に灯籠1万個
(毎日新聞・2015年08月06日)
 原爆の日の6日夜、広島市中区の原爆ドーム前を流れる元安川などでは、恒例の「灯籠(とうろう)流し」があった。犠牲者の冥福と世界平和への願いを込めて約1万個の灯籠が川面に浮かべられ、被爆者や遺族らが手を合わせた。
 今年は被爆70年の節目に合わせ、高さ1.5メートルの折り鶴灯籠7基が作られ、赤、黄、ピンクなど7色の明かりがともされた。
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灯籠かぁ・・なんて、ぼんやりと
ニュースを見ていたら、不勉強ながら
非常に気になる事を知った・・。
とうろう流しの【種火】は、なんと、
2001年より

【原爆の残り火】

を流灯式の種火にしているという・・。
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被爆から1ヶ月後、召集で広島県内の駐屯地にいた山本達雄さんが、 叔父の店である本通商店街の金正堂書店にくすぶっていた火をカイロに移して、 福岡県八女市星野村 の自宅に持ち帰り保存されていました。 そして23年間山本家で守り続けられた後、昭和43年、星野村に引き継がれ 「平和を祈る火」として、「平和の塔」の中で今もなお大切に保存され続けています。 そして当実行委員会副委員長が毎年、星野村に出向き「採火」させて頂いております。
https://www.urban.ne.jp/home/tourou/
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ええ?Σ( ̄ロ ̄lll)

だって、自分は当事者じゃないし、
もちろん、見た訳じゃないから、
書物や、原爆資料館での資料とか
でしか知らないけど、それらを総合
するに、亡くなっていった皆さんは、

「熱い!熱い!」

と言って亡くなっていった・・と
いう認識。。。(^-^;

その状況を踏まえれば、仮に自分が
亡くなった人間だったら、死んで
からも、毎年、

「原爆の残り火」

という「恨みの炎」で、祀られ続け、
「最後の記憶が火傷の熱さ」なのに、
さらに、ろうそくの「火」という
熱いモノで祀られるなんて、まるで
死んでからも、

「最悪の二重苦」

を毎年味わうかのような形であって、
心からイヤだなぁ・・と感じて
しまう・・(^-^;

もちろん、関係者の皆さんは思いが
あってやって下さっているんだと
思うのですが、それが素晴らしいか?
素晴らしくないか?ではなく、仮に
自分だったら・・って目線の話です
がね・・。

今回の【原爆の日】は、そんな、
イレギュラーで、また違った
気持ちで迎える日となりました・・。