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<中田英寿>現役引退を表明

7月3日・21時に、中田のHPで引退を発表した。
ちょっとショック・・。早すぎる・・。
でも、これが中田のプライドなのだろう・・。

■中田英選手のホームページから■

“人生とは旅であり、旅とは人生である”2006.7.3

〜1985年12月1日−2006年6月22日〜

俺(おれ)が「サッカー」という旅に出てからおよそ
20年の月日が経った。
8歳の冬、寒空のもと山梨のとある小学校の校庭の片隅
からその旅は始まった。
あの頃(ころ)はボールを蹴ることに夢中になり、必死
でゴールを決めることだけを目指した。そして、ひたすら
ゲームを楽しんだ。サッカーボールは常に傍(かたわ)ら
にあった。
この旅がこんなに長くなるとは俺自身思いも寄らなかった。
山梨の県選抜から関東選抜、U−15、U−17、ユース、
そしてJリーグの一員へ。
その後、自分のサッカー人生の大半を占める欧州へ渡った。
五輪代表、日本代表へも招聘(へい)され世界中のあらゆる
場所でいくつものゲームを戦った。
サッカーはどんなときも俺の心の中心にあった。サッカーは
本当に多くのものを授けてくれた。喜び、悲しみ、友、そして
試練を与えてくれた。
もちろん平穏で楽しいことだけだったわけではない。
それ故に、与えられたことすべてが俺にとって素晴らしい
“経験”となり、“糧”となり、自分を成長させてくれた。
半年ほど前からこのドイツワールドカップを最後に約10年間
過ごしたプロサッカー界から引退しようと決めていた。
何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつ
ではない。
今言えることは、プロサッカーという旅から卒業し
“新たな自分”探しの旅に出たい。
そう思ったからだった。
サッカーは世界で最大のスポーツ。それだけに、多くの
ファンがいて、また多くのジャーナリストがいる。
選手は多くの期待や注目を集め、そして勝利の為(ため)の
責任を負う。時には、自分には何でも出来ると錯覚するほど
の賞賛を浴び、時には、自分の存在価値を全て否定させられる
ような批判に苛(さいな)まれる。
 プロになって以来、「サッカー、好きですか?」と問われても
「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。責任を負って戦う
ことの尊さに、大きな感動を覚えながらも子供のころに持って
いたボールに対する瑞々(みずみず)しい感情は失われていった。
けれど、プロとして最後のゲームになった6月22日のブラジル戦
の後、サッカーを愛して止まない自分が確かにいることが分かった。
自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた
大きな感情。
それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきたサッカーへの
思い。厚い壁を築くようにして守ってきた気持ちだった。
これまでは、周りのいろんな状況からそれを守る為、ある時は
まるで感情が無いかのように無機的に、またある時には敢えて
無愛想に振る舞った。しかし最後の最後、俺の心に存在した壁は
崩れすべてが一気に溢(あふ)れ出した。
ブラジル戦の後、最後の芝生の感触を心に刻みつつ込み上げて
きた気持ちを落ち着かせたのだが、最後にスタンドのサポーター
へ挨拶(あいさつ)をした時、もう一度その感情が噴き上がってきた。

そして、思った。

どこの国のどんなスタジアムにもやってきて声を嗄(か)らし
全身全霊で応援してくれたファン−−。世界各国のどのピッチ
にいても聞こえてきた「NAKATA」の声援−−。本当にみんなが
いたからこそ、10年もの長い旅を続けてこられたんだ、と……。
サッカーという旅のなかでも「日本代表」は、俺にとって特別な
場所だった。
最後となるドイツでの戦いの中では、選手たち、スタッフ、
そしてファンのみんなに「俺は一体何を伝えられることが
出来るのだろうか」、それだけを考えてプレーしてきた。
俺は今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。
今の日本代表選手個人の技術レベルは本当に高く、その上
スピードもある。
ただひとつ残念だったのは、自分たちの実力を100%出す
術(すべ)を知らなかったこと。
それにどうにか気づいてもらおうと俺なりに4年間やってきた。
時には励まし、時には怒鳴り、時には相手を怒らせてしまった
こともあった。だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは
出来なかった。
ワールドカップがこのような結果に終わってしまい、申し訳ない
気持ちでいっぱいだった。俺がこれまでサッカーを通じてみんな
に何を見せられたのか、何を感じさせられたのか、この大会の
後にいろいろと考えた。正直、俺が少しでも何かを伝える
ことが出来たのか……ちょっと自信がなかった。
けれどみんなからのmail(メール)をすべて読んで、俺が
伝えたかった何か、日本代表に必要だと思った何か、それを
たくさんの人が理解してくれたんだと知った。
それが分かった今、プロになってからの俺の“姿勢”は間違って
いなかったと自信を持って言える。
何も伝えられないまま代表そしてサッカーから離れる、という
のはとても辛いことだと感じていた。しかし、俺の気持ちを
分かってくれている“みんな”がきっと次の代表、Jリーグ、
そして日本サッカーの将来を支えてくれると信じている。

だから今、俺は、安心して旅立つことができる。
最後にこれだけは伝えたい。
これまで抱き続けてきた“誇り”は、これからも俺の人生の
基盤になるだろうし、自信になると思う。でもこれは、みんな
からの“声”があったからこそ守ることが出来たものだと思う。
みんなの声を胸に、誇りを失わずに生きていく。
そう思えればこそ、この先の新たな旅でどんな困難なことが
あろうと乗り越えていけると信じられる。

新しい旅はこれから始まる。

今後、プロの選手としてピッチに立つことはないけれどサッカー
をやめることは絶対にないだろう。旅先の路地で、草むらで、
小さなグラウンドで、誰かと言葉を交わす代わりにボールを
蹴るだろう。子供の頃の瑞々しい気持ちを持って−−。
これまで一緒にプレーしてきたすべての選手、関わってきて
くれたすべての人々、そして最後まで信じ応援し続けてきて
くれたみんなに、心の底から一言を。

“ありがとう”

ひで

(ホームページから原文のまま)

海外を教えてくれ、海外できっちり評価され、日本のサッカー
の評価を確実に上げてくれたのは中田の功績は大きい。
本当にご苦労さまでした。