「ある晴れた昼時に親戚の家でメシをご馳走になるということ(第2話)」

 お世話になったおじさんの家に、一人で行ったのは初めてのことであり、通算でも4回目くらいである。じいちゃんばあちゃんの法事が何年かおきであるし、年賀状のやり取りはあるのであるが、希薄な関係のようにも感じる。年賀状は自分が家族を持つようになってからのことであるが、同じ立場の従兄弟らも同じようにしているから、特別に関係があるというわけではない。
 しかし、従兄弟連中でも自分のように一人で親戚の家に行き、会話を楽しんでいく者はいないようだ。まったく苦にならないし、疎外感を感じない自分の特質のようだ。たまたま、じいちゃんばあちゃんが家にいて、正月には親戚が一同に会すのが当たり前な環境からそうなったのかもしれない。そういえば母方にも同じようにする従姉妹がいるし、オヤジもそういう性格なようだ。
 しかるにおじさんおばさんの立場からするとどうなのだろうか?自分の子供と同じかやや若い親戚の子供が家に来てメシを食っていく。親は(おじさんおばさんに)会えてよかったねというが、私の従兄弟らがふらりと訪ねてきたら、どう反応するのだろう?
 印鑑を返したのは2日後であった。ほぼ毎日、近くまできているのだから次の日でもよかったのだが、電話がつながらず夕方近いので(さすがに晩メシまでは気がひける)、延期したのである。現場から会社へ帰る途中に寄るので、少しでも時間を作るには昼を挟むしかないわけで、思った通り昼メシをご馳走になった。こちらはメシを食いながら、相手の話に相づちをうち、受け答えする。今日はおばさんもおり(だからメシになったわけだが)、話好きなだけあって時間はかなりの速さで流れて行った。
「地面の下のことを調べるわけね」
「えぇ、家やビル、道路や橋をつくる前には地面の下の土がどのくらい強いかを調べるんです」
「どのくらいかかるものなの?」
「長くても一カ所一週間くらいかな」
「この辺は砂なのよ、それにすぐに水が出るわ」
「そうですね、ここは海に近いし、周りに比べて少し高い砂丘なんです」
「そういえば家の前の道あるじゃない、あれ前は私道だったのよ。周りはほとんど公道にしたがっていたんだけど、反対している人がいてね」
「僕らの仕事でも予め周りの住民に説明するんですけど、公共事業そのものを毛嫌いする人や、自分の土地の近くで調査することには難色を示す人もいますよ」
「ストレスがたまるんじゃない?」
「たまにはありますね。でも引きずらないようにしています。とても理解してくれる人もいますしね」
自分の子供らとはまったく違う仕事のせいか、話は尽きないのである。おばさんが話しまくるので、前は消費税の話しなどで結構話したおじさんも、今日はおとなしめだ。話も長くなり、ご飯はおかわりしていた。
「もうそろそろ会社に帰ります」
「じゃあ駅まで車で送るわ」
助かる、実際歩いてみると20分弱かかるし、ずいぶん時間を費やしたから、内心ひやひやだったのだ。
「おじさんはウチのオヤジよりよっぽど元気そうですね。一人で東京にも出られるんじゃないですか?」
「200メートルも歩いたら足が痛いって止まるのよ」
「この間は坂の上まで見送ってくれましたよ」
「ちょっと頑張ったのね」
「じゃあ、今度は私がおじさんを車で連れて行きますかね」
「・・・・・・・」
どうやら遠出には反対しているようだ。おじさんも少しは電気自転車で動いているようだが、年齢相応には老いているし、たまにはウチのオヤジなんかと話せば生活にハリも出てくるだろう。よかれと思った発現だったが、余計な一言のようだ。行動が束縛されていながら、連れ合いは自由に行動しているおじさんが、なんとなく可哀想に思えた。

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作:shun

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