| 「欧米か」 |
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| 言わなくてもわかる、あうんの呼吸のような物を好むのは日本人の特性であろう。特に頼んでもないがよかれと思ってやってみる。日本人独特の日本人しか感じない美徳かもしれない。完全に相手が失念していれば感謝されるだろう。わかっている場合は少々やっかいだ。そんな大事なことを忘れると思っているのか、信頼がないんだな、お節介しやがって、となるかもしれない。 何回かそのようなことがあると、ハッキリと言葉にして言うべきで、言わない場合はその配慮がなくても仕方ないと考えるようになる。ある種ビジネスライクな感じだが、考えてみれば打合せには記録簿が不可欠だし、証明印も相手にもらうものだ。つまり、日常的に行っているのである。 しかし、より親密で頻繁にやりとりする相手にそれはできない。せいぜい言葉に出して「わかった?」と確認する程度である。当然、言った・言わない、のイザコザはつきものである。態度からその意図を読みとって・・・となるとさらに難しいのである。ヘタをすると、意図せず相手を怒らせることになる。よって、重要なことなら相手のことなどかまわず、自分からアピールする欧米的な態度がいいんじゃないかと、最近は思うんである。 誰しも忙しい時に話しかけられるのはいやなもので、ぞんざいな応答しかしないことも多い。それでもお互いに本当に重要なことは、わかっていて、ちゃんと対応してくれるだろうという期待があるとする。そうなれば相手は「自分に近づいてほしくないんだな」と感じ、壁を作ってしまうことにもなる。いったん壁ができれば、こっちもそれを感じとって、「なんだ、あいつ」ってことになる。いつでも、誰に対しても、親切な応答ができればいいが、普通はまずムリである。 親密な信頼関係があるから、ぞんざいな態度も許されると考える、しかし親しき仲にも礼儀ありという言葉もある、どっちにしても堂々巡り。信頼関係が崩れるのはあっけないのかもしれない。本人がひきずるタイプかどうかにもよる。どちらもひきずらないタイプならいいが、日本人の大半はそうではなさそうだ。となれば、必然的にお互いが不快な気持ちになる可能性はきわめて高いということだ。 お互いに本当に重要なことは、わかっていて、ちゃんと対応してくれるだろうという期待があるとする。でも相手はそう行動はしてくれなかった。失望する。そのことを態度に示す。相手も失敗ったと感じるが相手の態度を見て逆に態度が硬化する。お互いがいがみあうならそれでもいいが、適当にその場をやりすごそうとする。いつか、そんなことがあったことも忘れる。また、同じ過ちを犯す。また失望する・・・。この連鎖が収束することは極めて難しいように思える。 結局、相手に伝えたいことは、はっきりコトバにして、それでもダメな場合は相手にしない、という態度が一番お互いのためになるのではないか。相手に変な遠慮はしないことが重要だ。遠慮は警戒しているとの錯覚につながる可能性があるからだ。このようなもやもやした気持ちのやりとりをもう長いこと日本人はやっていたのだろう。だから、世代を問わずこの問題は存在していると思う。だから、おくゆかしさとか遠慮といった人と人とに流れるものが希薄な感じになる、欧米的な態度は受け入れないだろう。もちろん、そんな欧米にだって、どこかドロドロとしたものが人と人との間に流れているのだろうが・・・。 しょうがないかもしれない、日本人だから。 捨てきれないだろう、この感情のゆらぎを。 |
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