| 「求心力」 |
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| 朝夕の通勤電車は味気ない。みんなたいていヒマをまぎらわすアイテムをもっているようだ。もちろん、一番手軽で興味深い、マンウォッチングという手があるが、これは眼に入るものを素直に偏見なく受け入れる必要がある。もちろん、自己の心を押し殺す必要も義務もないわけであるが、理解するにはココロ・度量は必要というわけだ。しかし、ただでさえ、朝夕の電車といえばパーソナルスペースなど確保できない満員御礼状態。アフリカのバッタだったか、やはり乾季に限られた草地にみんなが集結すると、性格が凶暴化するという。体型まで変化し、体色も黒くなるという。そして集団で草地を求めて一斉に飛び出すらしい。ユニホームの着用と一斉行動、日本のサラリーマンをほうふつとさせる。菜食主義者のバッタでさえこうなるのだから、人ではおして知るべし。誰かの不機嫌が一斉に周囲に蔓延するにも不思議ではない。あの瞬間、テレパシーなどなくても、たぶんみんなそう思っているに違いない、とわかるのが不思議である。それに何かと物騒な世の中だ。周りを刺激することはなるべくよしておこう。インネンつけられない程度のウォッチングに止めておくがよい。 で、各々がいろいろなことを電車の中でしているのであるが、サラリーマンがマンガ雑誌を読んでいる姿をよく見かける。単行本ではなく、雑誌なのでもちろんカバーなんぞなく、丸出しである。たぶん団塊の世代なんかには、奇妙な姿に見えているのだろうなと思う。ただ、マンガの人の引きつけやすさは尋常ではない。少ないコトバと紙面で、インパクトのあるオモシロイストーリーを構築しなければならないのだから。よくできているなと感心する。もちろん、好みというものがあるから、逆に一目でどうでもよくなってしまうものもあるのだが・・・。 実際、退屈な通勤電車のマンガには、異常なほど眼を奪われる。その特性から、1ページ読み終えるのに時間はほとんどかからない。持ち主のページを繰る遅さにイライラするのがほとんどだ。同様の傾向は、スポーツ紙のエロ記事でも起こるが、あれはちょっと違うところもある。エロ記事もデカい活字に眼を奪われ、で何かモヤモヤと想像するところに、良さがあるように思う。実際、詳細に読んでみると「何でさっき、ココロひきつけられるものがあったのか」と考えてしまう。たぶん、記事自体の出来が悪いのだろう。一過性のものだと割り切るべきだ。・・・ちょっと脱線してしまった。 もちろん、子供の頃はマンガをよく読んでいた。オトナになった頃から、無意識に避けていたように思う。新人の頃は、仕事場にマンガを持っていくことに、軽い罪の意識があった(というか、それほどの常習性はなかった)。会社に慣れる頃には、「マンガを読まなくてもよい」ことに、本当に慣れてしまい、自然と遠ざかった。しかし、実際に世の中のサラリーマンの、なんとマンガを読む人の多いことよ。そして、実際車中で、マンガに出合ってしまった時に、むさぼるようにくらいつく自分。してみると、自分はちっともマンガを嫌いになったわけでもなんでもないと気づいてしまう。どうやら、自分の中で「社会人たるものマンガなんぞ、人前で読むものではない」なぁ〜んて、思いこんでいたのかもしれない。で、実際の車中の光景に愕然としたのかもしれない。実際、最初の5年ぐらいはほとんど、電車通勤なんぞしなかったのだからムリもない。 なぜ、人は車中人目をはばからずにマンガを読んでいるのか、改めて考えてみた。まずは、根本的に日頃、仕事でいろいろなことを理解しようとし、慢性的に疲れている。そして煮詰まった状態からハケ口をどこかに求めるようになる。マンガの直接的な理解しやすさ、オモシロさは格好の材料だと思う。おまけにマンガ雑誌は、単行本と違い、安価で読み捨ててしまってもさほど惜しくはない。ヘタに家に持ち帰れば、家人に変な目で見られるかもしれない。そう考えると納得できるし、本末転倒さえしなければ何も悪いことないだろうな。 マンガの入手経路としては、コンビニの立読がある。実際にコンビニで本を購入する人と、経営側は邪魔と考えているようであるが、いたしかたないとあきらめるべきだろう。実際、あのマンガやエロ雑誌は本来集客のためにあるものであり、常に十分な効力を発揮しているのだから、ビニールなんぞかけるのはこれも本末転倒である。小さい子供への影響を考えるのなら、棚を高くしてしまえばよい。 相手に気を使うぐらいなら、マンガ喫茶へ行けばよい。ただし、最近はどうだか知らないが、禁煙ルームがないと非喫煙者には辛いものがある。パチンコ屋と同等の影響があると思われる。しかし、あの穴倉的空間は慣れてしまうとホントに居心地がよいし、安価なカプセルホテルのように使えるから、実際困ってしまう。 しかし、この疲れた頭へのマスターベーションは、他にも無意識に行っているようだ。つまり、マンガはお気楽に読めるし、想像力をそれほど必要としないで楽しめてしまう。同じようなことが、たとえマンガでなくとも、読み古した小説でも起こりうるような気がする。慣れ親しんだ小説なら、ストーリーはもちろん覚えているし、字ヅラを追っているだけならマンガと変わらない。もちろん、想像力豊かな人なら新たな解釈を見出すこともできるだろうが、そんな人は本来、「物事を自分で解釈することをやめてしまうこと」とは無関係の人だ。よって、慣れ親しみすぎた本というものは、捨ててしまったほうがいいのかもしれない。意志の強さがこんなところでも試される。ご用心ご用心。 |
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