| 「追憶-2」 | ||
| 地図・わずかばかりのお金が入った財布・ハンカチ、それが少年の用意したもののすべてだった。隣では3つ違いの妹が布団からちょっとははみ出た格好で何も気づかず眠っている。いよいよ、家を抜け出そうというときになってうかつにも少年は自分の靴が勝手口に置いてあることに気が付いた。勝手口に行く途中には両親が話しを続けている部屋がある。いくら足音を忍ばせてもガラス越しに姿を見られることは必至だ。しかたがない。少年は玄関口の靴箱からもう履かなくなった古いズックをそっと取り出すと、子供部屋の窓をあけ抜けだすことにした。窓の外は裏の物置小屋に接していて、昼間でも光のあたりにくいジメジメしたところであり、正直真夜中に家を抜け出すルートとしてはもっとも避けたいところであった。しかし、幸か不幸か、隣の居間からもれ出る明かりとテレビの音で普段感じるような薄気味悪さはかなり軽減されていた。息をころして外に出ると、昼間の熱気とは対照的な微かな冷気が全身を覆う。 「ふうっ」ようやく自転車の置いてあるところまでたどり着いておもわず出てしまったため息が、夜に大きく響くように感じてあわてて口元に手をあてた。しかし、すでに両親のいる居間は道路よりかなり回り込んだ位置にあることから、その洩れた明かりがブロック塀をやや明るくしているだけでそんなため息に気がつくことはないのだった。それは自分で望んでやったことではあったが、自分の存在に両親が気づいていない、もしくは気が付こうともしていない態度に感じられ、さびしい気持ちになったのも事実だった。真夏の真夜中に一人、彼は世の中に対峙しているような気分になったが、田舎に行くのだという異様な意志がこのひとときではもっとも強力に働いたのだ。「よし」、自転車に跨るともう後を振り返ることもなく、衣ずれにも似た軽快なチェーンの音とともに夜の中に溶け込んでいった。 奇妙に静まりかえった町角に立つ電灯の光が妙にぼんやりとにじんでいて、時折黄色く見える。その明かりのもとに照らし出されるゴミを満載した自転車の積み重ね。それは一種のオブジェであり、夏の夜にはそぐわないそこはかとない寂しさを演出している。取り付けたバッテリーランプの光は自転車の前約1mの地面をなんとも頼りなく照らしていたが、それらにとんちゃくしている余裕はなかった。夜明けまでおそらくは6時間はなく、そして7時すぎには少なくとも両親は少年のいなくなったこと、それも自転車までなくなっていることに気が付くだろう。両親に心配させるつもりは全然ないし、目的さえ達成すれば後はどうとでもなれという気持ちになっていたが、もっとも彼が恐れていたことは両親が勘をはたらかせて自分がたどりつく前に田舎に連絡してしまうことだった。そうなれば、自分がとても惨めな気持ちに・・・それだけならまだいいが、無様な格好までも美由紀姉ちゃんに見られてしまう、そんなことは絶対にあってはならない。無事にたどりついていったい何を言うのか何も考えてはいなかったし、そもそもそのことが彼女にどんな印象を植え付けるのかわからなかったが、そこに二人だけの神聖で濃密な時間を共有できるはずだと彼は考えていた。先へ先へ、とにかく先へ、環状線の車道を危険をかえりみず、ただがむしゃらにペダルをこぎ続ける彼の姿は、一心に経文をとなえつづける修行僧とも感じられた。 |
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作:shun
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