「富士王」 <おすすめBGM>THE UNIVERSAL <BLUR>

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急な坂の登場である。喜びのあまり予測運転を忘れていたのである。5段のままでは僕も失速してしまう。惰性で上がるポイントは目の前に来ていた。慌ててギアを1段に入れ替える。前のめりの状態で慌てて入れ替えたものだから、僕の足はちぎれんばかりに高速回転し、少しバランスを失ってしまう。なんとか持ち直してギアを2段に入れ替えようとしたところで、さっきまで後方にいた富士王が僕の前に見えたかととおもうと、富士王の方にひっぱられるように自転車ごと倒れた。鎖がペダルにからまったのだ。本当に真っ白になった。ハンズボンをはいた僕の膝はアスファルトに叩きつけられた為、擦りむけ、真っ赤に腫れあがり、声にならない痛みを「ツ−!」と言葉だか呼吸かわからない程度な音で表現した。まさに虫の息のようだった。痛がりながらも、少し余裕ができたせいか、富士王を探すと、坂の上を直視したままいきりたっていた。その視線の先を棒も追う。最悪だ。巨大な野良犬である。言い過ぎた。「巨大な」に関しては子供の僕より大きかった事を考慮して良しとしても、野良犬は言い過ぎた。首輪がついていたから。どこかの飼い犬なんだろうけど放し飼いということになる。だけど、「巨大な放し飼いの飼い犬」じゃ怖さも何もないので、つい「巨大な野良犬」と言い切ってしまったことをお詫びする。とにかく、その野良犬が坂の上から僕らをじっと見下ろしていた。ヤバイ。立てない僕は応戦するどころか逃げることすらできない。まして犬の目線以下の状態ではかなり「ヤラレル」感情が脳を満たし、あるわけもないのに「食われる」と本気で思いこみはじめている。いくら富士王がいるといえ体格的に言って勝てるわけがない。野良犬がこっちへ一歩向かってくる。僕はその日学校で読んだ自分の守護神により強く守られる呪文を一生懸命となえる「オンアミタイテイセイカラウン、オンアミタイテイセイカラウン、オンアミタイテイセイカラウン」また一歩野良犬が近づく。「オンアミタイテイセイカラウン、オンアミタイテイセイカラウン、オンアミタイテイセイカラウン、オンアミタイテイセイカラウン」もう、ダメかと思ったその瞬間、富士王がかつて聞いたこともない声で吠えだした。「オンアミタイテイセイカラウン、オンアミタイテイセイカラウン、オンアミタイテイセイカラウン、オンアミタイテイセイカラウン、オンアミタイテイセイカラウン、オンアミタイテイセイカラウン、オンアミタイテイセイカラウン、オンアミタイテイセイカラウン、オンアミタイテイセイカラウン」気がつくと富士王が僕の横にいて、なんと擦りむいた僕の足を舐めている。坂の上には野良犬もいない。富士王は僕を気遣っている。「イマ、オリハ、モウリチにカンドーシテイル〜〜〜〜〜〜〜!」気分が脳を満たし、犬に助けられ嬉しいんだか、情けないんだか、こんな優しい犬に対して敵対していた自分が惨めなんだか、分からないが帰って父親に今日あったことを報告する僕の目には涙が溢れていた。
 そんな事があってから、僕と富士王の距離は急に狭まった。餌なしで芸をするようになり、毎日の散歩も以前よりも時間を延長して川辺の堤防で鎖を放してやった。鎖を放すと富士王は弾丸のように草むらめがけ疾走し、そうかと思うと今度は僕めがけて突進してくる。僕に衝突する寸前のところで必ず進路をそらし、、また草むらめがけて疾走する。映画で見たチキンレ−スみたいで僕はこれがたまらなく好きだった。(Page.4へ続く)

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